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尾畑 雁多

2021/12/05 03:02

御伽怪談第一集・第二話「化け猫の報恩」

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  一  時は江戸時代。天明年間(1782)の五月初旬のことであった。  大阪の農人橋《のうにんばし》に、河内屋惣兵衛と言う傘を扱う商人《あきんど》が大きな店を構えていた。当時、大阪でも農人橋は奇妙な出来事の多い土地として知られていた。  惣兵衛にはひとり娘がいた。名をお糸と言う。この娘は容姿も美しく、父母の寵愛はもちろんのこと、まわりからも、 ——糸はん、糸はん。  と呼ばれ愛されていた。幼い頃から誰かれとなく可愛がられていたが、年頃になってからは〈農人小町〉と呼ばれ、知らぬ者とていないほど知られていたと言う。ただ、残念なことに、奇妙な噂のある娘であった。  家には、長年飼っていた斑猫《ぶちねこ》がいた。名は見たままの〈ブチ〉と言う。ブチは、父の惣兵衛が子供の頃から飼っていた猫であった。この猫が生まれた日のことは誰も知らなかったと言う。  お糸も、物心ついた頃から、 ——ブチ、ブチ……。  と呼んで寵愛していた。しかしこの猫、いやらしいことに常にお系に付きまとう。片時も離れなかった。家のどこにいても、もちろん厠へ行く時ですらブチがいる。お系が年頃となってからも、いつも近くにブチがいた。そのため、まわりからも嫌な噂が囁かれていた。 ——農人小町は猫に魅入られた不幸な娘。  縁組などの話が出ても、 「猫に……やろ」  と、何げなく口ごもり、うやむやにされることも多かった。物事をハッキリとは言わず、うやむやにするのは上方の男たちの特徴である。  両親もそのことが唯一の悩みの種であった。  やがてのこと、誰もがこの年老いた猫を煩わしく思ようになった。  そうこうしている内に、家の者が、 ——どこか遠くへ捨てに行こう。  と言い出して、とうとう捨てに行くこととなった。  農人橋から猫を捨てに行くには、北の曽根崎新地へ向かうことが多い。あのあたりは人生すら捨てるに相応しく、いつも怖しげな雰囲気があった。やがて心中で有名となる曽根崎界隈は住む人もまばらで、足元にまとわりつく湿地が続いていた。  家の丁稚が、哀れな捨て猫の任を任され、ブチを紙袋に押し込んで、口をしっかりと縛り、暴れるのをものともせず……とは言っても怖る怖る連れ出して、湿地の水溜まりの中に棒でつついて、 「おぉ怖い、どうか恨みませんように」  と両手を合わせてトボトボと帰った。しかし、もうブチが先に家に帰っている。そんなことが何度か繰り返された。  ある日のこと、親戚一同が集まって、 「猫は魔物やさかい、親の代からとは言え、もはや、打ち殺して捨てるしかなかろう」  と、相談していたところ……驚いたことに、ブチはどこかに姿をくらましてしまった。 「おぉ怖《こわ》。聞こえたんとちゃうか?」  誰もが首をすくめ、背筋が寒くなる思いであったと言う。祟りを怖れる姿は尋常のものではなかった。さっそく、皆で近くの〈空堀お祓い通り〉に出かけて行き、榎木大明神にお参りしたと言う。  縁の遠い親戚に至るまで、各々、祈禱その外、魔除けなどを貰い受け、ようやく安心したそうである。猫除けの祈祷などないと思うが、ブチが化け猫かも知れない……と思ってのことであった。    二  そんなある夜のこと、惣兵衛の夢枕に件のブチがボーっと現れた。  惣兵衛は夢とも知らず、つぶやいた。 「おのれは、せっかく身を隠したのに、なんで、また帰って来たんや?」 「お糸を魅入る魔物と言われ、殺されそうになった故、しかたのぉ、身を隠したんや」 「魔物やないんか?」 「よぅ考えてみぃや。この家に先代から養なわれておよそ四十年。恩はあれども恨みはない。なに故、怪しいことをせねばならんのや? 疑われて憤慨《ふんがい》しとるわ」 「えっ?」 「お糸の側を離れんのは、年を経た化けネズミが狙っておるからじゃ」 「化け鼠? 化け猫やないんか?」 「いくら化け猫やとしても、恩義のある家に悪さはせん。猫には猫の仁義と言うものがあるんや」 「そんなもんかいな?」 「化け鼠のやつが、お糸を喰い殺そうと企む故、少しも離れず守っとったんや。もちろん、鼠を退治するんは、猫の当り前の仕事やけど、中々、あの化け鼠だけは難しい」 「そんなに強いんか?」 「そこで相談がある。島之内口の河内屋市兵衛はんのところに一匹の虎猫がおる。これを借り受け、わてら二匹で戦えば、よもや負けることはあるまいぞ」  と告げると、ぷいと姿を消した。  目覚めてから惣兵衛は首を傾げつぶやいた。 「はて、おかしな夢を見たもんやなぁ」  その時、女房も起き出して、 「どうやら同じ夢を見たのでは?」  と申し、夫婦で夢の内容を語り驚いたと言う。しかし、結局、 「夢を見ただけやから……」  と、信じることはなかった。夢は五臓六腑の疲れと申し、心の迷いと思ってのことであった。  その日は暮れて夜が来た。するとまたもやブチが夢に現れ、ご神託のようなことを申すのであった。 「夢だから言うて疑いなや。虎猫さえ借りてくれれば、憂いは消え去るであろう」  その次の夜も同じ夢を見たと言う。四日目くらいには、ブチもあきれ果てた様子。 「もう、いい加減、借りて来てくれや。お糸を守るんも限界やし」  これには夫婦も仕方なく、ついに相談して虎猫を借りることになった。  翌日のことであった。  柳並木を眺めながら川沿いを下って行くと、島之内口はすぐであった。大きな蔵が立ち並び、小舟が行き来している。そんな中を雲雀《ひばり》が鳴いて美しく、川辺にサギが餌をついばんでいた。道修町《どしょうまち》からだろうか、薬種《くすりだね》の物売りの声が響いた。 ——えぇ、定斎屋《じょさいや》でござい……。  道行く女たちの下駄が、路地の石畳にカランコロンと流れてゆく。コイノボリが風になびいていた。  大阪では端午の節句の四ツ〈午後十時〉頃までにノボリをしまう風習があった。それは明日六日の大阪城落城の日を憚《はばか》ってのことであった。早い家では夜中にならない内にコイノボリを片付けた。だが、今はまだ、たくさんのコイが青空に泳いでいた。  惣兵衛は、 ——のどかやなぁ。  と思ったが、猫のことを思い出して、 ——どないして話そうか?  と悩んだ。自分の下駄の音も何やら虚しく聞こえていた。    三  島之内口で同じ屋号の〈河内屋〉を探すと、すぐに見つけることが出来た。そこは、立派な料理茶屋であった。表で案内を乞い、庭へまわると、縁側に、さも強そうな虎猫がニャアとアクビをした。  茶屋の主人の市兵衛に会うと、挨拶をして、 「実は内密で……」  と耳打ちしてから、夢のことなどシブシブと語り出した。  すると市兵衛は、 「この虎猫は、長年飼ってはおりまするが、別段、素晴らしい猫とも思えず……」  と丁寧に前置きしてから、半笑いになって、 「しかし、そないな不可思議なことがあるんやったら……よろしいわ。おもろいから貸しましょう」  と、承諾したと言う。  惣兵衛は苦笑いして、 「それでは明日にでも、お迎えに参ります」  と挨拶して茶屋を後にした。  次の日、使いの者に虎猫を取りに行かせたところ、ブチから知らせでもあったものか、さして嫌がりもせずついて来たと言う。  惣兵衛のお店ではご馳走などを用意して虎猫をもてなしたが、お糸はなぜ虎猫を借りて来たのか知らされていなかった。  やがて、ブチもどこからか帰って来て、虎猫と寄りそっていたと言う。まるで、久しぶりに会った友が語り合うように見えたそうだが、お糸はブチを怖れてか、近付くこともしなかった。  その夜、またまた夫婦の夢にブチが来た。 「いよいよ明日の夜、化け鼠と対決することにする。日暮れには、わてらを二階へ上げ給え」  と嘆願した。  惣兵衛は、猫の願いに任せて、翌日は両猫に格別のご馳走を与えることにした。 「あんじょう、頼んまっせ、斑《ぶち》猫大明神様」  人の言葉が分かる筈もないとは思ったが、惣兵衛は何となく猫を信頼し、両手を合わせたと言う。  夜に入り、猫を二階へ上げると、しばらくは何事もなく静かだった。四ツ〈午後十時〉を過ぎた頃だろうか? にわかに騒がしくなった。すさまじく揺れ出して、天井はガタガタと軋《きし》み、ほこりが舞った。時々、猫や鼠の怖ろしげな喚き声が聞こえ、物が壊れる音がした。どこをどう走るものか、ドタドタと激しく足音が響いた。埃が落ちて来る。  大阪の建物は丈夫に出来ている。細工した組み木を合わせて釘を使わず組み込まれた建物は、ちょっとやそっとではビクともしない。しかしである。それでも、ガタガタと不気味な音を立てて、軋むのである。  建物が丈夫に造られているのは、そこに住む人々の心が怖がりだからである。彼らはしっかりした建物に守られていないと安心出来ないのだ。だから、集まっていた親戚の者たちも皆、音がするたびに首をすくめた。家が壊れるのではと不安を感じ、地震のことが思い出された。だからと言って、皆、ビクビクしているばかりで、誰も確かめようとはしなかった。  猫と鼠の戦いは永遠に続くかのように思えた。何かの度に激しい音が響いた。天井を見上げた人々は、昔話の、九尾退治の一節を思い浮かべたと言う。  やがて、深夜の九ツ過ぎにもなろうかと言う頃、ようやくシンと静まりかえった。皆は二階の出来事を論じ合っていたようだが、結論の出ないアホな話で盛り上がっていた。    四  惣兵衛が、最初にシビレを切らせて我慢出来なくなった。 「誰ぞ、二階の様子を見てこいや」  その言葉は静かな空間に虚しく響いていた。  ひとりがビクビクしながら答えた。 「わ、わては別に、知らんでも良いさかい……」  誰もが遠慮したり、尻込みしたりしていた。びくつく惣兵衛ではあったが、しかたなく、しぶしぶ立ちあがり、 「どっこいしょ……しゃあないなぁ」  と、ぶつくさ言いながら、蝋燭《ろうそく》を片手に、よろよろと階段を上がって行くのであった。  二階の座敷は、したたる血で汚れていた。獣の臭いが充満していた。惣兵衛がなかなか降りて来ないので、皆が、怖る怖る上がって来て、何人もが体を重ね、びくつきながら垣間見ていた。  惣兵衛は台を足場に天井板をそろりと押し上げ、覚悟して首を伸ばした。風が吹いて蝋燭がパッと消えると、何も見えなくなった。  慌てて灯りを入れると、大きな獣が倒れていた。血生臭かった。よく見ると、猫にも勝る大鼠の喉笛にブチが喰らい付き、頭はすでにかち割られ、息は絶えていた。  島之内口の虎猫は、鼠の勢いに勝っていたが、やはり疲れたものか死にかけていた。皆は大慌てで虎猫を救い出し、 ——やれ薬や、医者や。  と大騒ぎとなった。  その後、虎猫は色々と療治して命を取り止め、惣兵衛は厚く礼を述べて市兵衛方に返しに行ったと言う。もう鼠にお糸を取られることも、ブチがつきまとうこともなくなった。  これらのことは、お糸には知らされていなかった。だが、ブチの死を機に真実を知らされて驚いた。お糸はそっと涙に頬を濡らすと、両の手をブチの思い出に手向《たむけ》るのであった。  それから、 「惣兵衛は、ブチの忠義に深く感じ入り、手厚く葬《ほうむ》り、やがて猫の塚を建てたと……それがし、在番中に聞いてござる」  大阪城の御番衆を勤めた者が、江戸に立ち寄った際、予に詳しく物語ってくれた。『耳嚢』より。  市兵衛が住む島之内口は、農人橋から南に下って、谷町六丁目を過ぎたあたりにある。空堀のお祓い通りは、その中間くらいのところ。今でもお祓い関連の人々が住んでいる。  お祓い通りは、谷町六丁目の駅を西へとぼとぼ歩いて、右手に榎木大明神のある筋を、左に折れたところから始まる細い通り。榎木大明神のすぐ近くには直木賞で有名な〈直木三十五の碑〉がある。  この物語にあるように、猫はたまには恩を返すと言い、上方にも江戸にも記録が残っている。しかし、恩を返す確率で言うと、やはり犬の方がたくさん返すようである。  さて、ここで物語られたブチの塚はどこにあるのだろう? 調べたところ今はない。空襲でなくなったものか、あるいは江戸時代が終わって、なくなったのかも知れない。ただ明治の頃、西成区の太子町に猫塚が建てられた記録は残っている。  この塚は三味線の猫の供養と言う名目だが、松乃木大明神の中に合祀された時、近松門左衛門碑と一緒に合祀されたと言う。公園になる前の天王寺にあった。碑の記録は太平洋戦争の空襲で失われたが、他にもいくつか合祀されているようである。ブチの猫塚も含まれていたら良いなぁ……。〈了〉   *  *  *

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