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黒井羊太

2022/06/18 13:00

体外臓器(短編小説)

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 俺の記憶の初めの頃には、既に親父は眼鏡を掛けていた。  視力がとても悪かった親父の眼鏡は、とても分厚く、重かった。その為、親父はしょっちゅうずり落ちる眼鏡を直す羽目になった。  親父は良く本を読んだ。休日には一日中本を只管読む。種類は問わない。  子どもの俺にはとても退屈な親父だった。話しかけても「あー」だとか「うん」だとか、生返事。本から視線を逸らす事はなかった。  時々、眠れないと愚図る俺に、本を読んでくれた。ずり落ちる眼鏡を何度も直しながら、静かに語る。そんな時間が好きだった。  一度、悪戯で親父の眼鏡を掛けてみた事がある。強烈な度は世界を歪め、俺は気持ち悪くなってすぐ外した。親父に文句を言うと、そりゃそうなるさと笑っていた。  そうこうしながら、俺は成長していった。その間親父は相変わらずの読書三昧。同じ家に住んでいるのに、違う生活をしているような、不思議な関係。それは俺が家を出るまで続く。  やがて生涯を誓った人を実家に連れてきて、報告。親父もお袋も、喜んでくれた。相変わらず本を読んだままだったが。  孫が生まれ、年に一回は親父に会いに行く。その度、親父はやっぱり本を読んでいた。孫が声を掛けても、本を読んでいた。 「親父はずっと眼鏡掛けてるな」  何かのきっかけで、話しかける。 「あぁ、目が悪いからな」  本を読みながらも、返事が来る。実に数年ぶりのまともな会話だ。 「知ってる。子どもの頃に親父の眼鏡掛けた事があるから」 「あれな。お前、気持ち悪い~なんて大騒ぎしてたな」  ははは、と笑い出す。覚えてるんだ。 「コンタクトとか、しないのか?」 「冗談じゃない。目の中に何かを入れるだとか、弄るとか、絶対イヤだ」 「不便だろうに」 「もう体の一部だからな。今更気にならんよ。俺にとって眼鏡は臓器みたいなもんさ」 「臓器? 装置じゃなくて?」 「そうだ。五臓六腑って言葉は知ってるか? 五臓は肝臓、心臓、脾臓、肺臓、腎臓。六腑は胆嚢、小腸、胃、大腸、膀胱と三焦って奴、まあリンパ管の事だ。それぞれがそれぞれの役割を果たして、体の中に気、エネルギーと血、これはそのまま血液だな。そして津液、リンパ液を循環させる為のもんさ。  普通に生きているなら、これだけで事足りる。だがな、それだけじゃぁ『生きている』とは言えない。何が足りないか分かるか?」  俺は答えが分からず、首を横に振った。親父が得意気に笑って言葉を続けた。 「『情報』さ。新しい情報に触れ、考え、体の中に循環させて初めて『生きている』って言えるんだと俺は思ってる。そして情報の九割がどこからくるか。目なんだよ。  ところが厄介なもんで、人間は目が悪くなる。年を取ると特にな。どうも生き物ってのは、徐々に入ってくる情報を制限しようとするらしい。そうして生きながら死んでいくのさ。そうならない為に眼鏡を掛ける。俺にとって眼鏡は、血の通っていない臓器だ。いや、この場合人工臓器か」  カラカラと親父は笑った。  その後、しばらくして親父は死んだ。本を読んだまま、老衰。親父らしい死に様だった。  親父の遺骸は燃えて無くなり、眼鏡だけが手元に残った。悲しさを紛らわすように一度眼鏡を掛けてみた事があったが、子どもの頃と同じようにぐにゃりと世界が歪むだけだった。不思議と、外しても歪んだままだった。  子どもが独り立ちをして、俺は相変わらず腐らない親父の臓器と一緒に生活していた。  老いは恐ろしい。脚腰が立たなくなり、耳が遠くなる。気力が無くなり、出歩かなくなっていった。目だって悪くなった。  このまま死ぬか。それも悪くない、自然の事だと受け入れていた。飯を食って、クソをして寝るだけの毎日。死んでるも同然だった。  ふと悪戯心で、親父の眼鏡を掛けてみた。するとどうだ。世界は昔と同じようにはっきりと見えた。これなら本だって読める。  ……親父が「死んでる場合じゃないぞ」と言ってるのかな?  なぜだか分からないが、そんな気がした。もっと本を読め、考えろ。言葉少なな親父だったが、その姿は雄弁だった。残されたこの臓器からも、その意志が明瞭に伝わってくる。  本を読もう。死ぬまでまだ時間はある。ここにはない。じゃあ買いに行こう。出掛ける準備をしながらも、ふと頭を過ぎる。 「これは臓器移植というのだろうか」  一人ごちてから、俺は本屋へと出掛けた。

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