「気になるあの子の、心の内を覗いてみたい」などというのは、男女問わず思春期なら誰でも思う事だろう。 当然思春期真っ只中の僕だって例外である訳がなく、気になるあの子の心が気になって気になって夜も眠れないのだ。 宿木(やどりぎ)勇気、16才。クラスメートの赤熊(しゃぐま)ゆりさんに、何とか告白したい!と思いつつ、それが出来ないでいる情けない男だ。 はあ、と一つ溜息を吐きながらの帰り道。今日も赤熊さんと話すきっかけがなかったなぁ。だって、彼女は近寄りがたいんだもの。 赤熊さんはマジメで、いつも本を読んでいる。それは僕ら高校生には理解出来ないような、難しいそうな本ばかり。いつもピシッとしていて、人を寄せ付けない、と言う訳ではないのだが、どこか気後れしてしまって、男子からはちょっと距離がある。 成績トップだとか、運動神経抜群だとか、そんな群を抜いた所はないけれど、誰も気に留めないような、地味でさりげない子である。 そんな彼女と最接近したのが、一月程前だっただろうか。 彼女は何だったかの仕事で、重たい荷物を持って廊下を歩いていた。 これ幸いと声を掛け、荷物を持ってあげた。もう心臓はばっくばく。彼女が近くにいるってだけで緊張しちゃって、せっかくの数分間、一言も喋らず終わってしまった。今とても、とても後悔している。 何せ話す理由が無い。共通項がないのだ。 せめて彼女の心を少しでも知る事が出来たら。そんな夢みたいな事を願ってしまうのだ。 今日も接点が無かった。話しかけるきっかけが欲しいと溜息混じりに帰途につく。 と、信号の所でまごついている老婆を見かけた。僕はすかさず駆け寄り、 「大丈夫ですか? 荷物、持ちましょうか?」 と声を掛けた。老婆はびっくりした顔をしていたが、僕の厚意を素直に受け取ってくれた。 「ありがとうよ。助かったわ~。今日に限って荷物が重たくなっちゃって。あんた、最近の若いもんにしちゃ立派だねぇ」 信号を渡りきった所で御礼を言われた。褒められるって事に慣れていないもので、どう扱ったらいいか分からないでいると、 「何か御礼しなきゃね」 と、ごそごそとポケットを漁り始める老婆。 「そんな、そういうつもりでやったんじゃないんです。やめてください」 「いいねぇ。謙虚な所がますます気に入った。ん! これがあったね」 笑顔の老婆が取り出したのは、一つの飴玉だった。 その飴玉について、得意気に語り出す。 「この飴玉はちょいと特殊でね。人の心が見えるようになるのさ」 「人の心が?」 そんなバカな、という心よりも、そんなものがあって欲しいという気持ちの方が勝った。 「ま、効果は一ヶ月ばかり、見え方はちょいと特殊なんだけどね。あんたのような子なら、変な使い方もするまい」 「お婆さんは一体……?」 僕の質問に、老婆はにやりと笑い、小さな声で教えてくれた。 「あたしゃこの一帯では名の知れた魔女だったのさ。今は力を失って、ただのよぼよぼのお婆さんだけどね」 本気とも、冗談とも取れない言葉。 呆然とする僕を後目に、老婆は重たい荷物を抱えたまま去っていった。 「どうするんだ、これ?」 疑わしい限りだが、とにもかくにも心が覗けるのなら使いたい。 ……ええい、男は度胸! 思い切って口に放り込んだ。う~ん……苦いような、しょっぱいような味で、後味は甘かった。微妙な味。 しばらくすると、行き交う人たちの胸元からにょろんと植物が生えて見えるようになった。アジサイやクロッカス。シクラメンやスイセンなど、種類も色も大きさも、皆バラバラで、法則性がない。これが心を読めている状態? 騙られたのだろうか? ふと目に止まったのが、通りを歩くカップル。幸せそうだが、女性の胸元に咲くあの花、あれは知らない花だな……帰って調べてみよう。しかしこんなに花って色んな種類あるんだな…… 「あった」 図鑑を開いて30分。ようやく見つけた。 レンゲ草。小さな植物だ。 「ん?」 何々、花言葉は……「あなたと一緒なら苦痛が安らぐ」? あぁ、確かにカップルだったし、似合う言葉かな。 「……もしかして」 僕はぱらぱらと図鑑を捲っていく。 「超美人さんのアジサイ、『冷淡』。男子高生連中のクロッカス、『青春の喜び』、控えめそうな女子小学生のシクラメン、『内気』……」 思い返すと、その人の雰囲気と花言葉は面白い程一致していた。 あぁ、なるほど。この心が見える、というのは、花言葉として見えるんだな。 ……なんて面倒なんだ。 翌朝、僕はそわそわしながら教室にいた。ここに来るまで図鑑(このせいで今日は鞄が重い)と睨めっこしながら確かめたが、まず間違いない。僕は人の心が見えるようになっていた。唯一、自分のだけは見えないが、まあ自分の心なんて分かっているのだから、必要ないだろう。 あぁ、早く赤熊さんが見たい。一体彼女は、どんな心をしているのだろうか。 「おはよ~」 来た!僕は教室の入り口を振り返る。そして唖然とする。 彼女の胸元には、ラフレシアが咲いていた。 「ラフレシア……寄生植物」 家から持ってきた図鑑を捲っていく。 一体どんな心理状況なのだろう。不安のままに、ページを読み進める。 「花言葉……『夢うつつ』?」 どういう意味だ?ふわふわしてる…… 今までの彼女のイメージは、「ピシッとしてる」女の子。だけどその心の内は、ふわふわしてるという事か? ……僕らは勝手に垣根を作って、近寄らないようにしていただけなんだろうか? まじまじと観察してみると、赤熊さんは人からあまり注目はされていないが、クラスからの信頼感はあるようだ。それは彼女のマジメな性格に裏打ちされている。学級委員長ほどのカリスマはないまでも、補佐として就いたら優秀な右腕になりそうな、そんな人物だ。それでなくとも、困った人を見ればパッと助ける、心優しい人だ。 だから彼女を訪ねる人は、それなりにいる。彼女は読書の途中だって拒まない。 一方で、結構ぽやぽやもしている事が分かった。ぼーっとしてシャーペンをカチカチ。ノートに書いてまたカチカチ。しようと思ったらヘッドとペン先が逆になっていて、指に刺さって小さく悲鳴を上げていた。そして誰にも見られていない事を確認してほっとしている。何をしているんだ。可愛い。 他にも漏れ聞こえる話を聞いていると、なるほどふわふわしている。 「ユリー。何読んでんのー?」 「ん~? 洋書の古典の翻訳本だよ」 「うぇ、難しそう」 「そんな事ないよ~。簡単に言っちゃえば、不幸な女の子が色々あって素敵な男の人が現れて幸せを掴む物語」 「何それ、そういうの、好きなの?」 「大好き! 私にもこの本みたいな素敵な男の人が現れないかなぁ」 「ユリ、夢見すぎ~」 ホントにね。 何だかそれだけの事なんだけども、赤熊さんが身近な人に感じられるようになった。 と観察してた所、何だか赤熊さんと目が合う回数が増えてきた気がする。そしてサッと目線が下に逸らされる。見ている事が感づかれたかな?気持ち悪い男と思われる前に、これ以上は控えよう。 放課後、忘れ物を取りに教室に戻ると、彼女が一人、日直の日誌を書いていた。他に誰もいない。 思わず身じろぐ。そして、声を掛けるチャンスだと思うと、ドキドキする。 「あ、あの~」 「わっ」 我ながら最高に間抜けな声のかけ方。ほら見ろ、彼女もびっくりしてるじゃないか。 「何だ、宿木君か。どうしたの?」 書く手を止めて、振り返る。彼女の胸の花は、相変わらずラフレシア。 「ちょ、ちょっと話があるんだけど、いい?」 落ち着けー、落ち着け自分。動揺なんて見せるな。 ここ数日の花観察で、分かった事がある。感情のリアルタイムの動きと共に、花は種類や色を変える。だから、告白しないまでも、好意を匂わせる事で彼女の心が見えるはずだ。今日はそれを確認するだけだ。その為の絶好のチャンスだ。 「うん、いいよ。何?」 椅子を動かして、改めて向き合うように座ってくれる赤熊さん。目と目が合う。胸元の花は……ううん? 見た事も無い花が咲いている? しかしそれを調べる余裕なんて無い。 言葉を続けなきゃ。沈黙はまずい。何か話さないと……何か……しかし可愛いな、赤熊さん。 「好きです」 真っ白になった僕の頭が何とか捻り出した言葉は、先程まで頭の中にあった作戦を土台ごと吹っ飛ばした。 「へ!?」 「あ! いや! 違くて! いや、違わない……いや! 何でもない! じゃ、じゃね!」 動揺なんてもんじゃない。パニックだ。恐慌だ。ここは早く誤魔化してこの場を立ち去らねば! 手足をばたつかせながら、必死にごまかして逃げ出す。 「ちょ、ちょっと!?」 彼女のびっくりしたような呼び掛けに一瞬目をやる。そして冷や水がぶっかけられた気持ちになる。 あぁ、あの彼女の胸元の花は…… 心に大きな棘が刺さったまま、僕は帰り道を猛ダッシュで駆け抜けた。 「……ぬわぉぇぇぃぃぃぁぁぁああ!!」 自室での4度目の雄叫び。恥ずかしさやら後悔やらが色々混じった、思春期特有の現象である。心情は察して欲しい。 バカなんじゃないか? 作戦は一体何だったんだ? 明日から僕はあの教室にどんな顔して行ったらいいんだ? いや、それよりも重大なのは…… 去り際、彼女の胸元。咲いていたのは『青いバラ』。まさかの事態の為に見ておいたんだ。その意味について、僕はもう何も考えたくなかった。 「……ぬわぉおぇぇえああいいいぃぃぃぁああ!!」 「うるさいわよ! 勇気!」 母さんが怒鳴る。 うるさい。こっちはそれどころじゃないんだ。世界の破滅なんだ。 彼女の胸に咲いていた、青いバラの花言葉。それは『有り得ない』。自然界には存在しない色だから、そんな花言葉なんだそうだ。 明確な拒絶。彼女の本心である事に疑いようも無かった。 「心なんて、覗くんじゃなかった。知りたくなかった」 後悔しても、現実は変わらなかった。 そしてどんなに後悔しても、翌日はやってくる。 誰かが僕の心を見たら、きっと今なら黄色い菊が見えるだろうよ。意味? 『破れた恋』。あはははは、なんてぴったりなんだろうね。あはははは。はあ。 「あ、宿木君!」 翌朝僕が教室に入るなり、先に教室にいた赤熊さんが声を掛けてくる。何故!? 今までそんな事無かったじゃないか! あ、いや理由は明らかか。昨日のあれのせいだね。うん。 「ごめん赤熊さん、僕これからトイレ行かないと!」 鞄を自分の机に放り投げて、教室を急いで出る! 「え!? あの!?」 驚いた赤熊さんの声を背中に受け、走る。先生に捕まる。怒られる。 「俺の目の前で廊下を走るたぁ良い度胸だな! おい!」 すいません先生、でも今は本当に助かります。赤熊さんとどんな顔して話せば良いか分からないんです。 授業開始まで、みっちり叱られた。 その後も休み時間の度に赤熊さんは声を掛けてくる。僕は逃げ出す。 大体、彼女の心はもう分かっている。よりにもよって、青いバラだぜ? 『有り得ない』だぜ?これ以上畳みかけられたら、僕の心はばっきり折れてしまう。はっきりした言葉でなんて、聞きたくない。 しかしその放課後、遂に僕は赤熊さんに捕まった。 「朝から話があるって言ってるのに、何で逃げるのさ?」 ぷんぷんと怒る赤熊さん。可愛い。けど、彼女の気持ちは僕には振り向かない。この今でも、芍薬の花(花言葉:怒り)と共に、青いバラがまだ咲いているんだぜ。 僕は意を決して、いや観念して、謝り倒す事にした。 「昨日の件はごめん。その……聞かなかった事にしてもらえないだろうか?」 「え……?」 彼女の表情が曇る。え? 「なんていうか、思わず言葉について出てしまっただけで、大した意味はないんだ、うん」 「……」 これがお互い傷つかないで済む方法なんだ。無かった事にして、これからの学生生活、問題なく過ごしていければ良いじゃないか。 ちくりと心が痛んだが、グッと飲み込んだ。 彼女は俯いて黙っている。胸元をちらりと見遣ると、芍薬の花と青いバラが萎れていく。そして押しのけて咲き始めたのが……黄色の菊の花。え? 訳が分からず、彼女の胸元をまじまじと見てしまう。いや、誤解がある。彼女の胸元の花を、ね? 彼女はキッと顔を上げ、僕を指さして叫んだ。 「キブシ!」 「は?」 意味が分からなかった。キブシ、キブシ……植物の? 何で? 「宿木君の胸からキブシが生えてるの!」 ぎょっとした。胸元を見てみたが、当然何もない。 「キブシの花言葉は『嘘』! 宿木君、嘘吐いてるよ!」 泣き出しそうな勢いで叫び出す赤熊さん。 「花言葉って……まさか?」 「昨日の言葉、びっくりしたけど、すごく嬉しかった! こんな地味な私に告白してくれる人がいるなんて! 本ばっかり読んでる私に! なのに、それを無かった事にしてなんて、ひどいよ!」 とうとう泣き出してしまった。僕の脳はもうパニックだ。 「ひどいよぉ……なんでそんな嘘つくの……」 「ちょちょちょっと待ってくれ。赤熊さんも見えるの?」 「……見える」 「何で?」 「先日お婆さんを助けたら、もらった……」 あの婆さん!ぽんぽん配りすぎだろ! 「それで、宿木君を見て、私を好きになってくれてるんだって気付いて、すごく嬉しかった。前から宿木君、優しいから良いなって思ってて。でも、そういう話って苦手だから、どうしたらいいか分からなくて……」 そんな事ってあるだろうか。しかし彼女の胸元に見えるのはキンモクセイ。花言葉は『真実』だ。疑いようもない。 「……宿木君、最近人の胸元ばっかり見るようになってて、やっぱり男の子ってエッチなのかなって思ってたけど、花を見てたんだよね? あの時も見てた」 ばれてた。というか、見過ぎてあらぬ誤解を受けていそうだ。今後気をつけないと。 「じゃあ時折目線を外してたのは、僕の花を見てたんだね?」 「ふふ、そうよ。ちなみに告白してくれた時、宿木君からは赤いチューリップが生えてたんだよ?」 「赤いチューリップ……どういう意味だっけ?」 「『愛の告白』。だから、本当だって思えたんだよ」 は、恥ずかしい! 他人の気持ちを覗いてるつもりが、すっかり覗かれてたなんて! でも、そのお陰でこんな話が出来ているんだから、そういうものだと受け入れよう。 「これからよろしくね。はい、オーケーの握手」 照れくさい。けど、彼女の胸元に咲き誇る赤いバラの花よりも彼女の気持ちを伝えてくれる握手だった。 はたと思う。 「あれ? でも、あの告白の時、赤熊さんの心には青いバラが……」 「青いバラ?」 「『有り得ない』って意味。ほら、本にも」 僕が差し出した本のページをまじまじと見る赤熊さん。そしておもむろにシャーペンを取りだし、何かを書き足し、僕に見せた。 「青いバラにはこういう意味もあるんだよ」 そこに書かれていたのは、『夢叶う』の三文字。
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