手招く夜、囚われの星を描いての振り返りのような雑記です。内容で彼らの名前について触れているので、その資料を前置きに。
「手招く夜」の結末のアウルを見て、私はせいせいしたかったんじゃないかな、と思う。もちろんそれだけであの結末にしたわけではないにしろ、感情として全く無かったわけじゃないだろうなと。手の届かないものを地に落とす、ということは、私が何よりも夢見ていたことだから。
その感情に全く正当性はないけれど、抱えているあいだは、本人にとっては重大で逃れようのない苦しみであることを書きたかった、というのも大きな動機としてあった。
でも、ただそれを認めてよ、と言いたいわけではなく、そういう攻撃性によって罪のない人が傷ついたり痛みを負ってしまう、ということもきちんと提示はしたかった。故に、翼の彼女、ジゼルがああいう最期を迎えていたりする。(暗くて重くて苦しい感情、誰かを傷つけたい気持ちばかり強くあって、嬉しいや楽しい、誰かを思いやる気持ちってすぐ消え去ってしまうよな、という、誰もがおぼえてことのあるであろう感覚も、ジゼルの立ち位置に込めていた気がする。)
ヘレナのお母さんも、どちらかといえば善良なひとだけれど、まあ気の毒な目にはあっていて。お母さんに関しては、(産んだ責任というのは前提としてあるにしろ)親の手に余る子供っているよなあ、という、私自身の(子供側の)経験で得た実感というものを描いておきたい、というのもあった。
ヘレナからアウルへ向けられる感情を「一言で表せない」と言ってもらえたとき、すごく腑に落ちた感覚があった。あの感情をどう見るかは読んだ人に任せたいな、と思っているのだけど、それがどんなものに見えたとしても、あなたにとって重く苦しい感情であるなら、それは間違いではない、と、気持ちとしては言っておきたいところがある。(私自身、あれに関しては断定できていない部分もあるし)
続編の「囚われの星」は、かれらの最期としては妥当というか、「あえて描くまでもない分かり切った結末」だったのではないかな、と私は思っている。思ってはいたけど、この話を描けるのは自分しかいないのだし、じゃあ終わりまで形にしておこう、ということで執筆をはじめた。あと、前作のあとがきで描いたヘレナとアウルの姿に、その後の二人の関係がふわーっと浮かんできて、あ、これは描いておきたいな、というわりかし素直な動機もあったりはした。
「囚われの星」のあとがきの絵は、こんな未来があってもいいよね、と思って描いたもの。私は元々ほのぼの創作をする人間だったので、その名残というかなんというか。「どこか」の「もしも」でも、かれらが親愛を交わす姿をみられるのであれば、それは希望だなあ、描いておきたいなあ、と……。
自分の中にある暗い感情を、どうにか表現に活かしたいな、と思って描いた2作だったので、それを創作物として「良かった」といってもらえると、どうにかこうにか昇華できたのかな、と思えてすごく嬉しかった。内にあるものを出しきって、それに色々と反応を貰えたことで、一旦満足したというか、そんなに必死にならなくてもいいな、と創作に対する力み(や、苦しさ)がほどよく抜けた感覚があって、それは変化としてかなり大きいと感じている。
改めて、手に取って下さった方々、本当にありがとうございました!生きる力になります……。
コメントするにはログインが必要です