この記事を書いている時点で私のこどもは2歳をすぎている。
絶賛イヤイヤ期である。
テンプレ内容であるが、この時期のこどもは自分にとって何か嫌なことがあれば酷い癇癪をおこす。
いままで色々対処が明確にならず、色々参っていた。
ただ最近、イヤイヤ期のこどもに対して少しばかり見えてきたと感じるものもある。
こどもは何かを言う時、自分の心の隅々まで広げているということである。
仮に心と言うものがアメーバ状の物体と仮定するならば、こどもが何かを発するときは、自身の心も一緒に発した先にむけて出されているのである。
冒頭話したこどもが癇癪を起している時を例にしてみると、大抵は癇癪の向かい先は親である。
ここで、親は何かしらこどもが発している心を受け取らないといけないと感じるのである。
心なんて目にも見えない、実態を伴わない。そんなことできるのかと思うだろう。
何をするのか。
目線をあわせる、目をあわせる、じーーーっとあわせる、それと同時にこどもが何を望むか、親である私は思い当つくだけ聞く。淡々と聞く。
始めは耳鳴りがするほどうるさい叫び声とともに発せられる声と共に、一つ前と今のやりとりで掌を平気で返す要求でも、次第に的を得た会話になってくる。
何を起こるのか。
おそらく、親はこどもの心を受け取ったのだと思う。こどもは心を渡したから、おそらく次第に安心して、次第に落ち着いたのだと思う。
いつもうまくいくことはないが、今まではやりとりの「や」の字も成立しなかったことと比べると(その時点で私の親としての能力不足だが)、一つ発見であった。
こどもの成長と共に親も成長をしていく、というテンプレの内容を実感できたことはとても嬉しいことであった。
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