私は若い頃、原罪とは愛欲を持つことではないかと思っていたことがありました。自分の生が父母の愛欲の結果であるならば、自分も愛欲からは逃れられない。それが「原罪」ではないかと思っていました。自分の淫らな心を恥じ、自分が淫らな心を持って女性を見てしまうことを汚らわしいことと感じていました。周囲の大人達も自分と同じ淫らで汚らわしい存在ではないかと感じていました。 私はこれまでの人生の中で、愛を求めることで沢山の人を傷つけ、沢山の人から傷つけられてきました。配偶者を得て子が結婚する年になってようやく、苦しみの中で見つけ、溺れながら水底から拾い上げてこそ、人は大切な物を手に入れられるのではないかと感じています。今では、煩悩を離れ清らかに生きることだけが人生ではなく、泥水の中でのたうち周りながら少しずつ前に進むのも人としての生き方だと感じています。
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