「神」や「仏」という概念は間違いなく人間が作り出したものです。しかし、神や仏と呼ばれていた存在は、人間が存在するはるか以前から存在していました。人間は、理解できない存在を「神」や「仏」と呼んで畏怖し、都合よく解釈していたのです。
科学的・合理的な考え方をする方の中には、神や仏が文化によって生み出された迷信だとして、その存在を否定し無神論を主張する方もいます。中世のキリスト教のドグマに支配された歴史や繰り返される宗教対立による戦争や虐殺を見て、宗教が有害だと主張される人もいます。
信仰のない国で何が起きるか見渡してください。信仰は欲望を制御しコントロールします。信仰が失われると欲望が暴走する世界となります。経済力や権力は限りなく増大し、個人崇拝が横行し権力闘争に明け暮れる世界になるでしょう。人々は金の亡者になり、効率のよい結果だけが求められます。
コントロールを失った欲望は限りなく増大します。富は人を富を失う不安に陥れ限りない富を求めさせます。権力に就いた者は、それを失うことを怖れ、より強い権力を求めます。
貴方自身、金の亡者にならないのはなぜですか?手段を選ばずに結果に突き進まないのは何故ですか?欲望をコントロールしているのが心の一番奥にある信仰心、神や仏と呼ばれる絶対的な存在に対する怖れであることに気付くはずです。
自分に信仰がないと思っている貴方も、日本人であれば「おてんとうさま」の存在は感じています。自分を無神論者だと考えている貴方も実は信仰心があったのです。これまで貴方の信仰に値する宗教が見つからなかっただけです。
信仰心がなぜ欲望をコントロールするかというと、信仰=「祈り」は個を捨てて全体の存在に心の波長を合わせる行為だからです。祈りは無自覚であっても、貴方を使命に近づけさせます。信仰は慈悲や敬愛の根源です。
科学の進歩は宗教的なドグマの不条理さを人々に気付かせました。多くの宗教が古臭く迷信に満ちたものになって、力を失いました。その結果、世界は秩序を失いつつあります。このような時代だからこそ、新しい創造主の解釈、ドグマのない宗教が求められ、私に真実の扉を開ける使命が与えられたのです。
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