ユダヤの神も、キリストの神もイスラムの神も敬愛と誠実を説いています。「人を殺すなかれ」というのは、すべての宗教に共通する最大のタブーです。しかし、なぜ宗教を巡って戦争が行われ、民族が対立するのでしょうか。
それは、祈りが形式化し儀式になっていて、人々が「神」に直接祈っていないからです。人々は、神に祈るのに「代理人」を立てて、敬虔に頭を垂れなくなっています。祈りの言葉はオマジナイになり、宗教施設ばかりが巨大化しています。祈りは神に対する「オネダリ」になり、人々は自分達に都合のいいことだけお願いしています。宗教指導者を名乗る犯罪者が、神の名を語って人々に殺し合いをさせます。
敬虔な祈りは、心を無にして神の意思に心を添わせることです。敬虔な祈りは貴方に生き方を示します。キリスト教の主の祈りにある「御名があがめられますように。御国がきますように。 みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」という言葉は、唱えるだけでは駄目だったのです。貴方が御名があがめられ、御国が来るように働く必要があったのです。敬虔な祈りは、そのために今日貴方が行うべきことを示します。例え小さな行いであっても、それが使命です。
瞑想は、「敬虔な祈り」の新しい形です。神はすべての宗教に共通する存在であり宇宙の創造主です。心を澄ませて創造主の波動に心の波動を合わせ、与えられた使命に目覚めてください。信仰を持つ者は、心を澄ませて神の存在に心の波長を合わせ、その意思を感じてください。
神(創造主)の存在に触れ、真の信仰を得た時、貴方の心は慈悲と敬愛に溢れ、正義を求めるようになります。
創造主とは https://ofuse.me/e/42971
瞑想こそが正しい「祈り」の形です。https://ofuse.me/e/42472
敬虔な祈りと瞑想は本質的には同じものです。https://ofuse.me/e/43436
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