"このままだとお前の命はない"。

会ったばかりの他人にそう話されて、信じる人間などいないだろう。

けれど男の眼前の青年は、いたって大真面目に、なのに危機感もない口ぶりで言うものだから、どう捉えていいか分からなかった。

今は傭兵の仕事中だ、無視しても良かったのだろう。

だが物騒な仕事の最中だからこそ、些細なイレギュラーにも気を配っておきたい。

――そう、自分を納得させて、青年に話の続きを促した。

「この建物、たぶん近いうちに崩れるよ」

警告をしてきた青年は、こちらから目線を外して周囲を見回す。

ここは電気が通っていないこと以外、何の変哲もないビルの廊下だった。

平穏さに、いささか何事もなさすぎるとまで思ったほどだ。

「崩れるって感じにゃ見えねえが。なんだ？爆発でもすんのか」

「多分そうだと思う」

「さっきから要領を得ねえな」

こうもふんわりとした言葉ばかりが続くと、なんだか当てずっぽうを言われているようにも見えてくる。

「そもそも、なんで仕事中の傭兵捕まえて『このままだと死ぬよ』なんて警告をしてきたんだよ、お前」

だからこれっきりにして、早く仕事に戻ろう。

子供の悪戯に付き合っている時間はないのだから――。

「あなたが死んだのを見てきた」

「は？」

もうイタズラで片づけていいのではないだろうか……と思ったが、男の口からは思わず次の言葉が飛び出していた。

「いや……予知夢か何かか？」

「ううん、違う。未来でそういう記録があったんだ」

「未来って。まさかお前、未来人って言うんじゃねえだろうな」

「そうだよ」

あまりに突飛な話が続くもんだから、気狂いなんじゃないだろうか……？と疑りたくもなる。

しかし、眼前の青年の眼は産まれたての赤ちゃんのように澄んでいて、どちらかというと、悪い大人に何か吹き込まれたんじゃないだろうか……と勘繰ってしまう。

それならそれで、こんな傭兵の仕事場に置いておくわけにもいくまい。

面倒だが、仕事前に片づけてしまおうと、男は彼の服の背を掴み上げる。

「あっ、ちょっと！」

青年はじたばた暴れるが、傭兵稼業で鍛え上げてる男にとって、この程度なら造作もない。

あっという間に、肩の上に青年を担ぎあげる。

「うるせえ、じっとしてろ。そもそもここはガキの来るとこじゃねえ」

「おじさんの来るとこでもないでしょ！ここにいたら死ぬんだよ！？」

「俺はここに用があんの。魔獣退治の仕事なんだよ」

答えながら、足早に出口へ足を進め始めた、その時。

もがいてた青年が、ピタリと動きを止める。

「魔獣？」

そして、首を傾げて問う。

「魔獣なんて、ここに居るの？こんなに静かなのに」

そう言われてしまうと、この静けさが嫌に引っかかった。

“魔獣”――原因不明の突然変異で凶暴化した人間や動物が居れば、悲鳴や破壊音が聞こえたり、そうでなくても破壊された痕くらい残っていそうなものだ。

しかしこの建物は随分と綺麗で、静かなままだ。

物騒の最前線に放り込まれるのが仕事の傭兵を、わざわざここへ呼ぶ必要なんか感じないくらいに。

「……」

「ね。おじさんも早く帰ろう」

肩の上から促す声。

それを鵜呑みには出来ないが、一度依頼人に確かめる必要があるだろう。

「わかったわかった。この電話が終わったらな」

端末を手に取り、青年には適当に返事する。

依頼人の番号にかけて、コール音を待つ――

そのあとは、一瞬だった。

背筋が嫌な予感に逆立つのと。

何かに弾き飛ばされ、自分の身体が建物の外に飛び出したのと。

……やや遅れて、熱風が全身に吹き付けたのと。

逆さになった視界に、コンクリートを飲み込む紅が映った。

**********************************************

じんと痺れるような痛みを背中に感じる。

閉じていた目を開けば、崩れたビルの群れに切り取られた曇り空が視界に入る。

その中心で黒煙がたなびき、空へと吸い込まれていた。

男は気が付けば、でこぼこに隆起した道路に投げ出されるように、仰向けに倒れていた。

意識を失っていたのか、一瞬息を詰まらせただけかは分からない。

体を起こせば、おびただしい量の瓦礫の山と、周囲をまばゆく照らす業火が目に入る。

そうか、自分はあのビルを散策している途中に、妙な衝撃と共にあそこから吹き飛ばされてきたのか。

それで、体の表面がヒリヒリと痛むのだろう。

それでもこの火の勢いを思えば、浅いやけど程度で済んでいるのはかなりマシな方に思えた。

防護服のおかげか？自分の"体質"のおかげか？

それともただの幸運か、と思考を巡らせ――そして、思い出した。

「あのガキはどこいった！？」

男に妙な警告を突きつけ、ここを離れるようにとずっと促していたあの青年。

自分を突き飛ばしたのがあの青年だとしたら、彼はこの現状を本当に予知していたというのだろうか。

青年の言う事を聞かずにいたら、あの場で死んでいたのだろうか。

それを尋ねようにも、煙でくすぶる視界のどこにも、あの青年は見えなかった。

「おい、誰かいるか！？」

何度声を張り上げても、返事は帰ってこず、響くのは炎が燃え盛る音だけだ。

遠くにサイレンの音がするから、さっきの爆発で緊急車輌は出ているのだろうが――

ここは街中ではあるが、魔獣が出たという一報で周辺住民は避難しており、通行人もいない。

誰か立っていれば、あるいは誰か声を上げていれば、すぐに気づく状況のはずなのだ。

男の頭を、嫌な想像がよぎる。

「(まさか、あの炎の中に……)」

そう思うが早いか、熱風に晒されることも厭わず、男は燃え盛るビルへと走り出した。

ビルといっても、そびえ立つ外観は見るも無惨に崩れ落ちており、残っているのは大量の瓦礫とガラクタになったオフィス用品程度だった。

ただの火事でここまで粉微塵になるとは思えない。

きっと、あの時ここは爆破されたのだ。

その瞬間、爆風やビルの倒壊から逃れられるほどぶっ飛ばされたという自分も大概な気もするが――

自分が吹き飛んでいたあの数秒で、青年が爆発から逃げ切れたとも思えない。

それでも男は青年を探さずにはいられなかった。

見ず知らずのおかしな青年だが、それでも彼は結果的に、男の命を救った。

そしてそのせいで命を落としたなんてことになったら、いくら強心臓のこの男でも、流石に気後れを感じてしまうだろうから。

よしんば見つけたとして、人の形を保っていることさえ奇跡かもしれないが、それでも見捨てる、忘れるという選択肢は彼にはなかった。

消防士でも安易に立ち入らないであろう、燃え盛るビルに男は肉薄した。

だから気づけたのだろう。

真っ黒な瓦礫の隙間から、赤黒い液体が滴っていた。

「そこか、待ってろ！今行く」

聞いてるかは分からないが声を張り上げて、その場所へ手をかける。

並の人間が巨大なコンクリート片に手を出して勝てる由もない。

だがこの荒廃した世界で、生物が得た理の１つ――

"異能"を得ている彼だからこそ、成せる業があった。

「この程度なら……ッと！」

男が力を込めた時、その腕の筋肉がビキビキと肥大化する。

男の異能は『肉体強化』。

彼は短い時間ではあるが、通常の人間の数倍～数十倍の身体能力を発揮することができるのだ。

彼の手により、巨大な瓦礫はどけられ、その下の姿が露になる。

「……、」

そして、男は息を呑む。

そこに倒れていたのは辛うじて、探していた青年だとわかった。

しかし先ほどの爆発により、全身が見るに堪えないほどの状態となっており、髪色でようやく人の判別がついたほどだ。

この有様でありながら、まだ僅かに息があるらしい、というのだから、彼にとってはかえって不運なのかもしれない。

耐え難い苦痛とともに、死をまもなく迎えることになるのだから。

「くそ、こんな時にミシェルがいりゃあ……」

そして、救急隊でも匙を投げるような酷い状態の人間に、医療知識もない男ができることは何もなかった。

熱風に晒されながら、命の恩人をこのまま看取るしかない。

そう思っていた、その矢先の出来事だった。

『たすけて』

もはや呼吸もおぼつかない青年の口から、そう聞こえた気がした。

その瞬間、男を暗幕のような暗闇が包み込んだ。

**********************************************

――それから数時間後。

宿舎にある自室のソファに横たわりながら、男はあの奇妙な爆破事件について思い返していた。

あの時死にかけていたはずの青年は、同じ宿舎の病棟でぐーすか眠りこけている。

まるで臨死体験なんて幻でしかなかったのでは、と錯覚するほど、五体満足の姿で。

だが、泥のような疲労感が全身を包み、火傷が残る肌が固く突っ張るのを感じるたび、あれは夢ではなかったと思い知らされるのだった。

あの時、暗闇に覆われたあと。

見渡す限りの黒の中に、ぼんやりと浮かび上がるように男は立っていた。

見回しても何も見えないのに、自らを包み込むような巨大な気配を、この暗闇の中に感じ取っていた。

推測でしかないが、その気配こそがあの青年の"異能"なのだろう。理由は二つ。

あの気配は男の命を糧にして、青年の命を繋ぎとめようとしていたこと。

そして、その漆黒が男を食い殺すのを、羽交い絞めにして押しとどめたもう一つの気配――おそらく、青年の自我だろう――があったからだ。

「結局、少しばかり命はくれてきてやったが……なんか疲れたくらいしか実感が湧かねえな」

なんとなく怠い自分の体に意識をやりながら、男はぼんやりと考える。

捧げてきたのが生命力というものなのか、寿命なのか、もっと別のものなのか。

青年の死が目の前に迫ったあの時は、説明される猶予はなかった。

あとは青年が目を覚まし、ちゃんと説明してくれるのを期待するしかない。考えるだけ仕方ないだろう。

「にしても、もしかして、アイツがどう考えても即死だろって状態で生きてたのは……あの異能のおかげか」

一見すると死神のようにも思えた、あの暗闇を思い出しながら、男は独り言ちる。

おそらく、本来は生存に特化した異能。

本人の意思で動かせるかは定かではないが、あれの本質は周りを食らってでも生き延びるためのものだろう。

そう考えると、男たちが置かれている状況において、凄まじく役立つ異能にも思えた。

仲間まで巻き込まれてはたまったものではないが、もしそれが訓練でどうにかなるものならば……どんな状況からも生きて帰れる可能性がある彼は、この上ない斥候となるのかもしれない。

いま、男が抱えた"傭兵事業"には、ただでさえ人手が足りない。

どうもあっちは自分を探しに来たようだし、渡りに船かもしれない。

「アイツが起きたら、ウチに入るよう持ち掛けてみるかね……」

そう、今後の計画を思い浮かべながら、男はまどろみに任せて目を閉じた。

それはほんの思い付きだった。

しかしその一手は、この傭兵の男、あの謎の青年、そして世界の命運をも左右する、大きな一手となる――

その事実を、今はまだ誰も知らない。

RevisioneR 0話『予言』

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