自分と家族が過去に経験した火災について書きます。とはいえ、かなり前の出来事ですので、うろ覚えの部分も多くて申し訳ないのですが、極力思い出せる範囲のことは記しておきます。 ※特定を防ぐため、一部の情報はあえて伏せ(ぼかし)ます。 あの日は弟も家におりましたので、土曜か日曜だったと思います。父は仕事に行き、母はスーパーへ買い物に出かけておりました。 私は前日のアルバイト疲れが祟り、午前11時頃まで自宅2階の自室にて爆睡してしまっていたのですが。 ちょうど目が覚めて普段着に着替えた時、弟が呼びに来ました。 「姉ちゃん、なんか焦げくせえんだけど」 「え?」 2階の廊下に出ると、窓の磨りガラスの向こうが、やけに曇っているのがわかりました。もくもくと立ち昇る黒い煙で。 外からはご近所の方々のざわざわとした話し声も聞こえ、異変をすぐに察しました。 ――火事だ。 私は、とっさに弟に言いました。 「反対側の窓を全部開けよう」 自室と、隣り合った弟の部屋、ベランダへ続くリビングの窓をすべて開け、体勢を低くしながら貴重品を持って1階に下りました。 我が家のうさぎ・ふみを私が専用キャリーバッグに手早く入れる間、弟は携帯電話で父と母に連絡してくれました。 ふみを連れて外へ避難すると、長年交流しているお隣の奥様にお声がけいただきました。 「里緒ちゃんも弟くんも無事だったんだね、よかった。消防署に通報したからね」 見れば、消防士の方々も既に到着されていて、まさに消火活動が始められようとしていました。 「蒼樹さんのお宅の方々ですか? ご無事で何よりです。危険ですので、しばらく離れていてください」 消防隊のリーダーらしい方にもお気遣いいただき、私と弟は離れた位置から火災現場を見ました。 我が家の右隣には、とある中小企業の方々の作業場だった、一階建ての小さな建物がありました。プレハブではなかったのですが、わりと簡素な構造でした。そのさらに隣には駐車場がありましたが、そちらの車にも幸い被害は及びませんでした。 火よりも煙の勢いがとにかくものすごく、出入口の引き戸も全く開かなかったようです。消防士の方々は、ハンマーのような鈍器で外側から窓ガラスを叩き割っておられました。出入口の開放には、チェーンソーのようなものも使われていたと思います。 ――こんな小さい建物からでも、こんなに煙が出るんだ……。 火災の光景に、私は驚きつつも俗な言い方をしてしまえば「ドン引き」しました。 あの日、ほかの家族が不在で、あのまま暢気に一人で寝ていたら、私とふみは一酸化炭素中毒でこの世を去っていたかもしれません。 建物内には誰もいらっしゃらなかったので、結果的には我が家も含めて死傷者は0名でした。 消防車からホースによる放水が始まってからも、私と弟は消防士の方々のかっこいい連携やご活躍に感服しておりました。それまでは、学校の避難訓練や防災講習のときくらいしか、彼らと直接お会いする機会はありませんでした。 スーパーから帰ってきた母と合流し、鎮火されるまでは近場のファミリーレストランにて昼食を食べながら待ちました。 「まさか、隣でこんなことが起きるなんて思わなかったよね……」 「うん……」 当時の母も一見落ち着いておりましたが、我が家まで燃えるかもしれなかった恐怖や不安で、気が気ではなかったと思います。 1~2時間ほど経った後、ご近所の方から母の携帯電話にご連絡いただき、消防・警察の方々から軽く事情聴取を受けました。 火と煙が出た建物は全壊はしませんでしたが、外側から見てもかなり黒焦げになっていました。幸い、我が家の外壁などには大きな損傷はありませんでした。煙の臭いは、ファブリーズ散布や換気をしても数日間は残ってしまいましたが。 後日、警察の方から改めて伺った情報によりますと、出火原因は煙草の火の不始末とのことでした。その火が作業用機材にも燃え移ったのではないかと。ちなみに、我が家には喫煙者は一人もおりません。 とある中小企業の方々は、その後別の場所へ作業場を移転され、建物は取り壊されました。 彼らは残念ながら、我が家には最後まで一度も謝罪にいらっしゃいませんでしたけれどもね。企業名も憶えましたので、私も一生関わることはありません。 よかったことといえば、家族全員が無事だったこと、防災意識が高まったこと、消防隊のリーダーらしい方が『轟轟戦隊ボウケンジャー』の明石暁チーフ(※レッド)に雰囲気が似ていてとてもかっこよく頼もしかったことですね(笑) こういった経験があっても、私は火に対する苦手意識はありません。煙草は苦手というより嫌いですが。 消防法や防災対策も、また改定・改正されるでしょう。 身近な人たちを守れるよう、防災・防犯に関しても常に学習しなければなと改めて感じました。 皆様も、火災をはじめとする災害にはどうぞ充分にお気を付けください。
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