お袋の腹の中にいた時にゃ、胎教代わりにいつもロックが鳴っていた。 生まれ出た瞬間には、産声代わりにロックを口ずさんでいた。 初めて立ち上がる瞬間に掴んだのは、マイクスタンドだった。 どれもこれも、あのいい加減な親父の弁だが、今の俺はその全てが事実なんだと素直に受け入れられる。 俺の血潮はロックで出来ている。 俺の脳細胞はロックで結合している。 俺の魂はロックそのものだ。 俺の存在はロックそのものだ。 当然記憶の一番古い頃には既にギターを持たされていた。いや、正確には自分の意志で握ったらしい。親父は、そりゃもう飛び跳ねる程喜んでギターを教えてくれた。子供だった俺は一生懸命やったし、母親は少し呆れていた。 短い指を必死に伸ばし、コードを抑えた。弦を抑える指先にマメが出来て、潰れた痛さで泣いた。親父は厳しく叱った。痛む指先でギターを血で染めながら、べそをかきながら弾いた。 五歳になる頃にはすっかりタコになって、幼児とは思えない指先になっていた。親父は度々俺のそのタコを触り、満足げに笑うのだった。「さすが俺の息子だ!」なんて、調子の良い事を言う。だが、俺は誉められる度くすぐったくもあり、誇らしくもあったのだ。 学校に上がると、友達が出来る。友達が出来れば、バンドを組める。そんな訳で、あっさりとバンドを組んだ。ギタリスト、ベーシスト、ドラマー。不思議と全員が揃っていた。これはもう、天啓であったと直感した。俺にロックの道を進めと神が言っているのだと子供ながらに確信していた。 いや、ネタばらしをすれば、親父のバンド仲間の息子たちがたまたま同級生で、全員がそれぞれの親父からアツい洗礼を受けて育っていたと言うだけの話なのだが。 そんなこんなで当たり前のように子供なりにバンドを組んで活動を始めた。コピーバンドだったし、大人達からは少し冷めた視線で「こんな子供がこんなに演奏出来るなんて!」なんてもてはやした。俺はその言葉の外にある「子供にしては」という前置詞が気にくわなかったが、そんな奴に構うよりも音楽を奏でていたかった。 最高のメンバーだった。俺が求める音が、いつもそこにある。メロディーという大きな川の流れがあって、俺の舵一つでその川の流れすら変わっていく。流れの速さも、大きさも、向きすらも、目配せ一つで変えられる。 俺はその時思ったね。きっとこいつらと一生こうしてバンドを組んで音楽をやっていくんだろうってね。 でも、そうはならなかった。 誰が悪いと言えばいいのか。高校の夏の事だった。 この頃になればコピーだけでは飽きたらず、見様見真似で生意気にもオリジナル曲なんてものを作り始めていた。今にして思えば青臭くてこっぱずかしい内容だが、当時の俺にしてみたら最高に輝いている宝物のような歌だった。 バックを固めるのは当然幼馴染みの奴ら。お陰で少しは名の知れた存在になってきていた。 火がつく寸前の、火薬のような気持ち。爆発するエネルギーを蓄えて、いつだって火種を待ってる。爆発しそうな気持ちを、俺はロックにして歌う。それに皆酔いしれる。その事が快感だった。 そんなある日、本当に些細な事でケンカをして、そのまま口も聞かなくなった。俺はひどく裏切られた気持ちだった。地震のように大きく揺らいで心の中に築き上げたものが崩れていく。ピカピカと光っていたはずのそれはあっという間にガラクタになり、誇りは嫌悪に変わる。それを俺自身は受け入れられずにいた。早く仲直りをしたい。でも俺は悪くない。あいつはひどい奴だ。そうだ、あんな事を考えていたなんて、きっとあの輝かしかった日々も嘘だったんだ。あいつはひどい奴だ。あいつが謝るまで許してやらない。 間を取り持とうとしてくれてた奴らにもひどい事を言った。最初は我慢していたそいつらも、さすがに最後には怒り出してそいつらとも口を聞かなくなる。 俺は、初めて孤独になった。 ロックンローラーは理解されないものさ、と嘯いてみても心の中は正直で、奴らへの軽口を叩くたびに傷口は増えていった。 毎日学校の廊下で顔を見かけても挨拶もしない、見ようともしない。俺もムキになって無視をするけども、その度心の辺りにチクチクとした痛みを感じていた。 いよいよ後悔が心のほとんどを占め、奴に謝ろうと思った矢先の事だった。 奴とは二度と、分かり合えなくなった。 生涯こいつらとバンドを組む。そんな仄かな夢はあっさりと砕かれ、冷たい現実だけが目の前に突きつけられる。 花に囲まれた奴の顔は思っていたよりも穏やかで、今にも動き出しそうだった。触れようにも薄いガラス一枚で隔てられ、それも叶わない。 俺は、泣いた。 奴の親父がある日家を訪ねてきた。俺にテープを渡したかったらしい。 おそるおそる再生してみると、聞き慣れた奴の声。照れながらの謝罪と、新曲のメロディ。実に素っ気ない、10分程の内容。 後悔。慟哭。自分の体のあらゆる部位が崩れ落ちていくのを感じた。 追い打ちをかけるように、親父が死んだ。 病気で、あっという間だった。病床でギターを握ったまま死んだ。 俺は、当たり前だと思っていた地盤が崩れ落ちていくのを感じた。 思い返せば親父は、俺の指針だった。どう考えるのか、どう判断するのか、どう行動するのか。それは親父が基準だった。 その基準が失われたようで、ぐらついてしまって、どうしたらいいのか分からずにいた。 俺には、ロックなんて無かったんだ。 それから俺はギターを倉庫の奥の方へ仕舞い、お袋の生活を助ける為に働き始めた。遊んでいる暇はない。音楽など一つも聞かず、ただひたすら働いた。お袋はありがとうと言いながら、時折寂しそうにしていた。 そのお袋も、その内死んだ。遺言は「好きな事をしなさい」だった。お袋は見抜いていた。俺のギターへの、ロックへの想いを。 ギターなんて見たくもない癖に、ギターを弾きたくてたまらないんだ。親父が教えてくれた技術を、奴が残したメロディを。思い出すから見たくない。思い出したいから弾きたい。 俺は、涙と共に再びギターを手に取った。 瞬間、俺に再びロックが宿ったのを感じた。血液と共に体中を駆け巡り、体の内側から爆発的に突き動かしてくる。目は見開き、頭は冴え、不思議な充足感がある。言葉にはしがたい、あの頃の火薬のような気持ち。今にも爆発してしまいそうな、はち切れそうな気持ち。俺は自然、ロックを口ずさむ。 歌える。弾ける。 心臓の鼓動はエイトビート。俺の命のある限り、絶対にこのビートは止まらない。 そうして俺は、歌い続けた。奏で続けた。 最初は誰も耳を傾けるはずもない。笑う奴だっている。 それでも歌い続けた。 もう何も後悔したくないから。自分の殻に閉じこもって、なあなあの先延ばしの日々を繰り返したくないから。 聞いてくれ! 俺の、人生を! 魂を! ロックを! 俺はただ必死に歌い続けた。奴のメロディーを、俺の想いを。 挫折や苦悩、後悔。そして喜び。 あらゆるものを乗り越えて、今俺はここに立っている。あらゆるものを背負って、今俺はここに生きている。 一歩先のステージには俺を呼ぶ声が満ち溢れている。俺のこの小さな一歩を多くの人間が待っている。 世界は俺を知らないかもしれない。俺がどんな気持ちで歌っているかなんて知った事ではないかもしれない。だがそうだとしても、俺の言葉や想いは間違いなく彼らに届いている。俺をロックスターと呼んでくれる。その事以上の意味があるだろうか。 あぁ、俺の人生はロックンロールだ。ロックと共にあり、ロックそのものだ。子供の頃に感じたあのインスピレーションは、間違いなんかじゃなかった。 あの日の火薬の臭いが鼻腔を擽る。火種はもうそこにある。俺は汗とも涙とも知れぬ液体を拭い、ステージへと歩みを進める。ギターと、皆への想いを抱いて。 退屈な毎日。どうせいつか終わるだけのつまらない人生だと割り切ったのはいつ頃の事だっただろうか。何もかもが下らなく感じたその頃から自室に引き籠もり始め、ネットの中の雑多なデータを掘り上げるのが僕の趣味。 クソみたいなものしか転がっていない。そりゃそうだ。クソみたいな現実から生まれたものしかそこにはない。 友達なんてクソだ。奴らは欺く。 家族なんてクソだ。奴らは裏切る。 宗教なんてクソだ。奴らは騙す。 あってはならない三度目の“大地震”を体験した僕はそう結論付けた。 ネットは広大だ。いくらでも時間は潰せる。死ぬまでの時間稼ぎ、人生が終わるまでの暇つぶしさ。 ネット上でふと目に付いた圧縮ファイル。名前もない、誰からのアクセス履歴も残っていない、相当旧式で、何故ネットの中にあるのかも分からない哀れなファイルだった。 「誰からも必要とされないんだな、お前」 まるで僕みたいだ、と言う言葉は飲んだ。 そうした同情心から、そのファイルをダウンロードし、開いた。 どうやら音楽のデータだったらしい。形式も今日日なかなか見ないものだ。ウィルスの類は無さそう。検査を済ませて、プレイヤーを用意して、聞いてみる事にした。 その歌声を聞いた瞬間、その音楽を聴いた途端、そこにあるはずもない火薬の臭いを感じた。 それは鼻腔を擽りながら気道へ、気管へ、肺腑へ、全身へ。一瞬で駆け巡る。 幻かも知れないが、確かに僕は感じた。 今にも体中に広がった火薬が爆発しそうだ! 何か言葉を叫びたい、自分の存在を叫びたい! 強く、強く! 「う……うぉぉおおおおおおおおお!!」 叫び慣れない僕の声は途中で裏返ったりひどいものだった。が、僕の心の澱が吹き飛んで、澄み渡っていくのを感じた。 何かがしたい。何をすればいいのか分からないけど、とにかく体中がエネルギーで満ちているんだ! 血液が爆発寸前のように熱い。鼓動もいつもより強く感じる。自分の体が自分のものではないみたいな錯覚を覚える。 ディスプレイを見直す。一体誰が歌ったんだ、それはどんな人だったんだ!? だがファイルには何の記述も存在しない。どういう出自かも分からない謎の歌。最終更新日は300年前の日付。 僕は殴られたような衝撃を受けた。この曲はネットの奥深く、誰も見ていないところで静かに僕を待っていたんだ。300年も掘り起こされる今日という日を待っていたんだ! 「うぉぉおおおぉぉおおおおおおぉお!!」 僕はこのタイムカプセルから吹きだした火薬の臭いにあてられて、部屋を飛び出した。
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