完結済み一次創作小説「I'll -アイル-」の後日談。 タイトルは未定。 +++ 「――カナデさん」 遠い昔。まだ幼かった自分が、“I'll(アイル)”初代リーダーであるカナデにふと尋ねたことがある。 「“I'll”とは、どういう意味ですか」 陽だまりの中、幼いメモリアをその腕に抱いて柔らかに笑んだ彼は、確かに答えたのだ。 「あなたのそばにいます、という意味だよ」 そう、確かに。 +++ 政府軍との戦いから……ジョーカーの死から、数日後。 メモリアはあれ以来、自室に引きこもっていた。 当初は自らも後を追おうと自害を図っていたが……ハリアたちにその都度阻止されたことで、諦めたようである。 ミカエルは神妙な面持ちで、メモリアの部屋の扉を叩く。 返事はない。彼はそっとその戸を開けた。 カーテンを締め切った、薄暗い部屋の中。亡くした彼の物だった寝具に座り、その人は虚空を見つめていた。 「……リアくん」 彼の傍らにそっと寄り添うミカエル。冷え切ったメモリアの手を握ると、彼がぴくりと反応をする。 唯一無二を失ったメモリア。彼とジョーカーの間に何があったのか、ミカエルにはわからない。 ――あの、雨の日。二人を迎えに行ったはずのハリアは、一人を連れて戻ってきた。 ジョーカーは死んだ。 淡々と告げられたリーダーの言葉に、ミカエルはもちろんフィーネたちも一瞬理解ができなかった。 なんで、と呟いたのは、確かゼノンだった。 それから、すすり泣く声と、問い詰める声とが溢れ返ったのだ。 ミカエルはそれらを聞きながら、メモリアを見ていた。 ――泣き腫らした顔で、心を失くした顔で、彼はどこも見ていなかった。 「……リアくん、いい天気ですよ」 締め切ったカーテンを開ける。そっと窓を開ければ、明るくなった街の喧騒が部屋に満ちた。 アイルの面々は、それぞれ新しい道を歩き始めている。 他の大人たちと共に街をまとめる者、馴染みの店を手伝う者、歌で他者を癒やす者。 それぞれが思うように、やりたかったこと、叶えたかった夢を追いかける。 皆が望んでいた世界。希望が溢れる未来。 それが、眼下の街で実現しているのだ。 ――ただひとり、時を止めたように膝を抱えるメモリアを除いて。 +++ 丘の上に、ざあざあと雨が降る。 ここは、彼の心象風景。ココロの奥底。精神の水底。 「……メモリア」 そっと、その名を呼ぶ。 唯一無二を喪った場所で、蹲る彼の名を。 「……どうして」 彼が、短く声を上げた。蒼い髪の少年は、じっとその続きを待つ。 「どうして、たすけてくれなかったんだ」 「……それは」 言葉に詰まる少年に、彼……メモリアは尚も言い募る。 「どうして、なんで、アイツを止めてくれなかった!! なんで……なんで、ジョーカーは……っ!! 何なんだ、お前はッ!!」 八つ当たりに近い慟哭。その哀しみを受けて、少年はゆるゆると首を振った。 「……オレにできるのは、対話をすることだけ。【魔王】の凶行は止められない。 無理に介入をすれば……【魔王因子(君たち)】のココロが、余計に壊れてしまうから」 そうして少年は、その深海のように青い瞳を閉ざす。 「……“今”よりも未来の時代の、【神族・魔王】。 それが……オレだよ」 「……未来の、【魔王】……?」 少年……ナイトメアの言葉に、メモリアは怪訝そうに眉を寄せた。 未来の【魔王】がなぜ、と目線で訴えると、彼はふわりと笑んだ。 「きみを、助けたかった。きみを未来の【魔王】にしたくなかった。 ううん……心が壊れて、【魔王】に乗っ取られるのを、防ぎたかったんだ」 ひどい、エゴだけれど。 そう語る、痛みを湛えたようなナイトメアの声。 余計なことを。そんなメモリアの呟きは、雨音にかき消された。 「……結局、お前の足掻きは無駄だった。ジョーカーは死んで……オレは、もう、立ち上がれない」 見上げた空は、いつまでも鈍色で。降り続ける雨に、メモリアの心はどんどんと侵食されていく。 いつの間にか、蒼い少年……ナイトメアは消えていた。 (ジョーカーを喪って、どうやって生きていけばいいんだ) 彼を殺した自分には、生きる価値なんて……きっとないのに。 +++ ――季節は廻る。 政府軍との戦いから、半年が過ぎた。 連日祭り騒ぎだった街も落ち着き、住民たちは穏やかな日々を過ごしていた。 そんな頃だった。相も変わらず部屋に引きこもるメモリアが、【魔王】に関する話を耳に入れたのは。 「【魔王】を倒す旅をしている奴がいるらしい」 家族の誰かが齎した情報に、動かなくなったメモリアの心はほんの少し反応する。 【魔王】の討伐。それが実現するかはわからない。 けれど……この身には、右目には、未だにあの魔王の魔力(チカラ)が残されている。 今の【魔王】が倒された場合、自分が次代の【魔王】になるのか。それともあの少年……ナイトメアなのか。 わからないが、ただ、なんとなく……これ以上、【魔王】に大切なモノを奪われたくないと、そう、思って……―― 「――リアくんッ!!」 紅い右目から溢れる同じ色の液体と、遠のく意識、名を呼ぶ天使の声。 唯一無二の最愛……ジョーカーと同じ場所へ逝けるなら……もう、それでも良かった。 - - - - - - - - - - - - - - - - ――夢を見た。遠い遠い、昔の夢だった。 温かく逞しい父親の腕の中、兄貴分であるハリアが彼に何か問いかけている夢。 「カナデさん」 幼さを含んだ兄の声。父に抱かれて微睡むメモリアには、それが何かはわからなかったけれど。 優しい父の声を、柔らかな兄の声を、久しぶりに思い出した。 在りし日の情景。遠い日の残照。 メモリアは無意識に父へと手を伸ばした。 ……不意に、掴まれる腕。 しっかりと伝わるその感覚に、メモリアの意識はゆっくりと覚醒して―― - - - - - - - - - - - - - - - - 「――リア!!」 目を醒ますと、メモリアの目の前には怒ったような……それでいて悲しげな表情を浮かべた兄……ハリアの姿があった。 夢で見た姿よりも大きな彼に、ああ、自分はまた死ねなかったのか、とメモリアは目を細める。 包帯が巻かれているのか、右目は何かに覆われて見えないけれど、痛みはなかった。きっと、ミライたちが治療を施したのだろう。 「……兄さん」 起き上がる気力もないまま、ふとメモリアは兄を呼んだ。 「……なんだ」 思いの外はっきりとした声だったからか、彼はどこかほっとしたような声音で短く返す。 どれぐらい眠っていたのかはわからないが、気を失う直前にそばにいた天使は、今はいない。 その事に安堵しながら、メモリアは言葉を紡いだ。 「……昔……父さんと、何を話して、いた? オレが……小さかった頃……」 その問いに、ハリアが息を呑む。 ジョーカーが死んでから今まで、メモリアが意味のある言葉を発したことはなかったからだ。 ただずっと、懺悔をするように……死なせてくれ、もう嫌だ、と繰り返し呟いていたことが、印象的だった。 だからハリアはメモリアに視線を合わせ、ゆっくりとその質問に答えた。……彼のこころを、繋ぎ止めるように。 「……“I'll”の名の意味を、聞いたんだ」 「“I'll”の……いみ……?」 生来の青が、ハリアを映す。ハリアはそれに頷いて、彼の亡き父から聞いた“意味”を口にした。 「“I'll”とは……『あなたのそばにいます』、や『誓い』という意味があるんだそうだ。 カナデさんが名付けて……死んだ者も死にゆく者も生者も、みなそばにいる、という想いが込められているのだ、と」 「みんな、そばに……」 兄の言葉に、メモリアは大きく目を見開く。それからどんどんと、その青から涙が溢れていった。 「――……っ!!」 顔を腕で覆って、静かに泣くメモリア。 ハリアはそっと、その銀の髪を撫でたのだった。
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