――数日後。メモリアはハリアたちの目を盗んで、町外れの丘に来ていた。 お気に入りだった場所。ジョーカーを喪った場所。彼の痕跡は、あの日の雨が洗い流してしまった。 メモリアは地面に座り、空を眺める。 (空には死んでいったみんながいる。母さんが教えてくれたこと) ぎゅっと手を握りしめる。血が流れる感覚が、手のひらに伝わる。 (死んだみんなもそばにいる。……“I'll”の意味。父さんの、言葉) 「……生きるって、難しいよ……父さん、母さん……」 目を閉じる。空の色も、街の風景も、何も見ないように。 ……けれど、不意に聞こえた足音に、メモリアは顔を上げる。 視線を動かすと、街から続く坂道の上で、一人の男が蹲っていた。 長く黒い髪が、さらりと肩から零れ落ちている。 「――……おい」 気がつくと、メモリアは彼に声をかけていた。 「……え……?」 「……具合が悪いのか? そもそもお前は誰……だ……」 ゆるゆると顔を上げた男の顔を見て、言葉は途中で途切れてしまう。 瞳の色こそ違えど、その風貌は――【魔王】ヘルのものと、瓜ふたつだったのだ。 男は首を傾げながら、ゆっくりと立ち上がった。 「……いや、大丈夫……だ。……それより、オレに何か……」 言いかけた男は、ハッと何かに気づいたように髪を触る。 顔色を悪くし後退る男に、メモリアは「すまない」と首を振った。 「……少し、知り合い……に似ていたものだから」 ……そうだ、あの【魔王】がこんな……ヒトらしい動作をするわけがない。 考えられる可能性は、二つ。他人の空似か、それとも―― 「……そう、か。……その……えっと」 思案するメモリアに、男は耳を手で覆いながら言葉を探しているようだった。 エルフ種によく似た長耳と、黒い髪。 ……死んでしまった家族を、思い出す。 「……ダークエルフか、お前」 「ちがっ……うんだけど、オレもよく……わからなくて」 自身の問いに俯いてしまった男へと、メモリアは首を振る。 ……こんな風に誰かを案じたり、声を交わすのは……何だか久しぶりだった。 「……まあ、何でも構わない。……この街は、オレたちは、ダークエルフだろうが何だろうが受け入れる」 「……え?」 「……オレたちの家族の一人も、ダークエルフだった。死んで、しまったけれど」 だから、だろうか。家族の……ヒュライの話を、口に出したのは。 握り締めた拳に気づいたのか、男は気遣わしげに呟いた。 「……大切、だったんだな」 「ああ。……どんな姿になっても、ヒュライは……あいつは、オレたちの家族だった。 ……結局、最後の最期まで……その心を、救ってやることは……できなかったけれど」 そよぐ風に銀髪を揺して、空を見上げる。 ハリアたち家族は、死んだことで彼が救われたのだと言っていた。 (本当に……そうだろうか? ヒュライは、本当に、救われたのか……?) ……|唯一無二《ジョーカー》も、死が救いだと言っていた。 (でも、オレは……生きていてほしかった。クオンにも、ヒュライにも、キリクにも……ジョーカーにも) 生きて、その心を救いたかった。生きていたいと、言ってほしかった。……救われたいのは、どちらだったのだろうか。 (……それに、死が救いなら……どうしてオレは、死なせてもらえないのだろうか?) 胸中を掠める絶望に目を背け、メモリアは黙ったままの男へと目を向ける。 ……相も変わらず酷い顔色だ。街へ連れて行って、ちゃんと休ませるべきだろう。 「……大丈夫か?」 「っえ、あ……ああ」 明かりのない暗い夜の瞳。自分とよく似た悲しみと絶望が綯交ぜになった色が、真っ直ぐにメモリアを貫く。 「お前は……もしも、自分が……――」 あるいはそれは、自分自身を映し出す鏡だったのかもしれない。 「自分が、知らない内に、人を殺めていたら……どうする……――?」 「知らない内に……人を……?」 その懺悔の言葉に、メモリアは目を見開く。 けれど、その反応を誤解したのか、男は慌てたように首を振った。 「あ……ごめん、何でもない。忘れて……」 「……待て。……その状況……オレにも、覚えがある」 くるりと踵を返して立ち去ろうとする男の手を掴み、メモリアは囁いた。 ……何故か、彼には話しておきたくなったのだ。 自身によく似た瞳の、彼に。 「え……!?」 「……家族を、大切な人を、この手で殺した。知らない内に……ではないが……少なくとも、オレの意思ではなかった。 大切な人を殺した時は……気がつけば……そう、なって、いて」 驚く男に、メモリアは俯きながらもそう語る。 空色の瞳から、ぽろりと涙が零れた。 ……半年の月日が過ぎても、あの日々の痛みは消えない……癒えない。 「っ殺したくなんて、なかった……! みんなに、生きてほしかった……! みんなを、アイツを殺したオレなんて……生きている資格なんかないって……死にたくても、でも、他の家族がそれを許してくれなくて……っ!」 男の手を握りしめたまま、崩れ落ちるメモリア。 その身に抱えた激情に、男はそっと寄り添った。 生きてほしかった。そばにいて欲しかった。これからもずっと、笑っていてくれると……信じていたのに。 彼らを殺した自分は、何故生きているのか。 (同じところに、逝きたい。ジョーカーたちがいないのに、生きてる意味なんて……) 「……そう、だよな。辛い……よな、やっぱり。 ……オレ、怖いんだ。いつか……今一緒にいてくれるみんなを、殺してしまうのかもしれないと……思って……」 男は泣き笑いの表情で語る。 “知らない自分”が犯す罪に、怯えている。 「……お前はさ、その家族の人たちから愛されてるんだよ。生命を大切に思われてる。 死なないでほしいって、願われてるんだな」 涙で歪んだ青目に、男は羨ましい、と言葉を漏らした。 ……愛されている。大切に、思われている。 ……生きることを、願われている。 (オレが、ジョーカーたちの生を、願ったように……?) 「っお前にも……仲間が、いるんだろう? だったら、お前も……」 「みんなは、オレの“無意識”のことを知らないから。 ……きっと、知ったら嫌われる。……殺されるかも、しれない。 でも……みんなを殺してしまうより……そっちの方が、ずっといいかなって」 涙を拭いながら言葉を紡げば、男は諦めたように力なく笑う。 メモリアはしばらく彼の顔をじっと見つめていたが、やがて静かに頷いた。 「……そう、だな。そうかも、しれない。……けど……」 そこで一度言葉を切り、男の手を再び取って自身の額に当てる。 祈るようなその仕草は、よく母がしてくれたものだった。 怖くないよ、大丈夫だよ、と伝える母の声を思い出す。 「でも……死んでほしい、とも願われていないはずだ。オレも……お前も。 誰かが死ぬのは……辛い、ことだから」 「願われて……ない……。……でも、オレは……」 そうだ、誰かが死ぬのは辛いこと。そんなことは、身を持って知っている。 (オレが死ねば、ミカや兄さんたちの心に……少なからず傷を与えてしまう) ならば、生きるしかないのだ。死んでしまった、みんなの分まで―― 「絶望に、負けてはいけない。オレも……生きるから。 だから、お前も」 “無意識”により、人を殺めた彼と自分。 メモリアの青い目に、男の黒が映る。 罪は消えず、心の傷も癒えないけれど……それでも。 「生命を、諦めるな。絶対に。……殺めてしまった人たちのためにも」 小さな丘での、二人だけの約束。 男の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。 男は、繋いだままだったメモリアの手をそっと握り返す。 「……お前、名前は?」 「……メモリア。メモリア・クロイツだ」 そう言えばお互い名乗っていなかったな、と思い、メモリアは名を告げる。 それを聞いた男は、ふわりと笑んだ。 「そっか。オレはユナ。ユナイアル・エルリス。 ……話を聞いてくれてありがとう、メモリア」 どこか落ち着いた、二人の雰囲気。 それを見計らったかのように、聞き覚えのない声が鼓膜を震わせた。 「あっユナくーん!」 メモリアが坂の下に視線を向けると、共同墓地にハリアと見知らぬ男女がいた。 「もう、ユナってば! 突然いなくならないでよ!」 「あはは……その、ごめん」 慌ててフードを被って坂を降りるユナに、女性が腰に手を当てて怒っている。 和気あいあいとした雰囲気に見える彼らの様子を眺めながら、メモリアも坂を下る。 ……と、目の前にハリアが立ち塞がった。 「……リア、勝手に出歩くな。ミカたちが心配するだろーが」 怒ったような表情に、メモリアはさっと視線をそらす。 メモリアが無垢な天使に弱いからか、ハリアたちは事あるごとに彼の名を出してその言動を縛ろうとする。 それが自身の命を案じてのことだと理解しているから、異を唱えるつもりもない。 ……例えそれを、重苦しく感じても。 +++ リースト、と名乗った緑髪の少年に、ミカエルと共に街を軽く案内をする。 リーストはやたらとこの街のことを知りたがったが、無口なメモリアの代わりにミカエルが「自分のわかる範囲でいいなら」と説明役を買って出てくれた。 二人の会話を耳に入れながら、その中に気になる言葉を見つけた。 “黒い髪のエルフ”。 それはメモリアも知っている。政府軍の生き残りが、その男がユウナギ・ロストを殺したのだと告げていたと、ハリアたちから聞いたからだ。 ……ああ、なるほど。途端にメモリアは納得した。 先ほど出逢った少年も、“黒髪のエルフ”だった。 身に覚えのない罪に怯える少年。死を望み……覚悟してしまった、少年。 (……【魔王】、か) 彼の容姿は自分の知る【魔王】ヘルと瓜ふたつだった。 知らない罪。黒髪のエルフ。【魔王】。 彼がどれだけのものを抱えているかはわからない。憶測の域を出ない。 メモリアに出来ることは、何もない。……それでも。 「オレも生きるから、お前も」 告げた言葉に、触れたぬくもりに、ユナは頷いてくれた。 ……メモリアは、そんな彼を信じたかった。 妙な共通点を持つ自分たち。その片割れが死んでしまうのは……なんだか、悲しいから。 街を去る彼の背を、少年は祈るような気持ちで見ていた。
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