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小萩 海

2022/11/18 12:15

【試し読み】小説 消えない残り香

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小説 消えない残り香



(一)

 遠くで絶え間ないクマゼミの声を遮断するイヤホンをつけて音楽をかけた。

 分け隔てなく話すのが得意なバイトの大峰さんと待ち合わせて昼食をとり、中止になった音楽フェスの話になったのは一週間ほど前のことだった。

 彼女は学生時代精力的にフェスに参加していたらしい。新人として入ってきたばかりの頃、休憩時間が重なり、コンビニで買ってきた三食そぼろ弁当をつつきながら、人となりについて尋ねると、そう言った。その瞬間にしか生まれない演者と聴衆の壮大なグルーヴに巻き込まれて自分が自分でなくなって、音楽の一部、というよりも音楽と一体になる、人も音も全部なにもかもに埋もれて、溺れて、最高、ここが世界の全部、になって、自分が自分でなくなって嫌なことだって忘れられるんです、彼女は迷いもなくそう言い切った。不思議な人かもしれない、と目を瞬かせる隙も与えないほど、溌剌と、確信的に。そうなんだ、と私は圧倒され、納得した。そうなんです。大峰さんの目は輝いていた。尻尾を振っておやつが差し出されるのを待っている犬の輝く双眸を想起させた。私の人生です。

 大規模なフェスに出るグループでなくても、大峰さんにはずっと応援しているバンドがあった。へえ、と私が中身のない関心を示すと、CDを貸しましょうか、と前のめりになり、本当に持ってきた。音楽はすっかりサブスクリプションに頼りネットを通じて聴くようになっていたから、ジャケット自体が懐かしかった。その懐かしさが、大峰さんの躊躇の無さへの個人的な驚きを、悠々と通りこしていった。夏のまばゆさを彷彿させる人だった。

 初めてCDを買ったのは中学一年生の時だった。貯めたお小遣いを握りしめて、その頃没頭していた邦楽バンドのアルバムを買った、三五〇〇円ほどだった、当時は目眩がするようなお金を財布から慎重に出した時には、躊躇と興奮で指先まで痺れていた。手に入れたCDは皺のないビニールに包まれていた。包みをといて、付着する初めての指紋は自分のものだった。リビングに置いてあったコンポにかけた。家族のいないタイミングを狙った。自分だけで味わいたかったからだ。多重の幸福は音に変換されて耳を通して神経を伝わり全身を巡った。

 大峰さんが貸してくれたCDの演奏者はインディーズバンドだった。まったく聞き覚えのない名前だった。良かったら聴いてみてください、そう言った。あれは確か去年の、もうじき梅雨になる頃だったはずだ。

 ウイルスによる世界的な疫病の影響は大きく、私は勿論、大峰さんの人生もまた蝕まれていった。去年、二〇二〇年、フェスは軒並み中止になった。密室で集まると感染爆発するというから、小さなライブハウスでの演奏も困難になった。

 同年、厳戒態勢のもと沈黙したゴールデンウィークを通り過ぎてしばらくすると、感染者数を示すグラフは明確に下降傾向に入り、もしかしたら夏の終わりくらいには落ち着いているかもしれないと呑気に考えていた。大峰さんが感染したのはちょうどそのあたりで、六月だった。CDを借りた翌日、彼女は体調不良を理由に休んだ。間もなく、陽性だったと連絡が職場に入った。彼女の容態を案ずるよりも先に、CDが脳裏に浮かんだ。

 当然ながら私よりも先に大峰さんの指紋がついたジャケット。私に貸すために棚から引き出したであろうジャケット。ユニクロの袋に包まれて渡されたものに私も確かにふれた。自分の手を一瞥したが、当然目視ではウイルスが付着しているかどうかなど判別できないのに、目に見えない不吉な靄が皮膚に纏わりついているような錯覚があった。今朝の体温は三十六度二分、いたって平熱だった。労働を終えて、絞られた雑巾のような身体で帰宅して熱心に手を洗い、手首から先がぴかぴかになった状態で体温計を腋に挟んだ。一分もしないうちに電子音が鳴った、三十六度三分。一分だけ上がった。だからなんだ。



(二)

 朝起きてスマホを起動した。ぼんやりとしているのはいつものこと。倦怠感や熱感はない。前夜、机上に置いたままにしたCDに触れないようにして、LINEで大峰さんにメッセージを送った。

 こんばんは、大丈夫ですか、お客さんは少ないし、シフトは心配せずにゆっくり休んで下さい、お大事に。

 大丈夫、なわけがないし、大丈夫かどうかの判断を本人に委ねて無責任な質問を渡しているようじゃないか。だから、大丈夫ですか、の文章を消した。

 こんばんは、お客さんは少ないし、シフトは心配せずにゆっくり休んで下さい、お大事に。

 これでは仕事の話ばかりになって、気遣いが足りないように思われた。大変でしたね、というのも他人事として突き放しているようだ。悩んだ末に、こんばんは、店長から聞きました、無理せずにゆっくり休んで下さい、お大事に、と打って、送る。付け足すように、返信不要です、と送って、放り出した。そのスマホを起き抜けに見ると、通知が届いていた。大峰さんからの返事だった。ありがとうございます、の末尾に笑顔の絵文字が二つ連立されていた。届いた時刻を確認すると、深夜の一時頃だった。ありがとうございます、の向こうでどんな生活を送っているのか、想像が至らない。熱はどうか、咳はどうなのか。自宅にいるのか、病院にいるのか、ホテルにいるのか。仮に自宅待機だったとして、彼女が実家暮らしなのか、一人なのか、あるいはパートナーと生活しているのか、そうしたプライベートを知らないと気付いた。大峰さんの輪郭は曖昧だった。

 体温計が鳴る。三十五度八分。

 低い熱をもった身体で簡単に身支度を整え、まだ誰も起きていないリビングに入る。別の部屋で寝ている両親を起こさないように、扉の開閉、足音、物音の全てに気を遣うのにもとうに慣れた。厚手のカーテンを軽く開いた。マンションの五階、窓の正面にも、道路を挟んで似たようなマンションが建っている。明かりはない。空は明るくなりはじめていた。

 窓から離れ、冷蔵庫から小型サイズのプレーンヨーグルトを一つ出すと、台所で立ったままさっさと食べる。すぐにたいらげて、スプーンだけ細い水で洗おうとして、シンクで水が跳ねた。部屋の遠くまで泳ぐ音は、小さい。



(三)

 八月七日だと思っていたら八月三日だった。

 かつてひいきにして、今は聴かなくなったバンドのCDの発売日。

 大峰さんに触発されて、検索をかけてみたら、十年ほどの間に私が知らないアルバムを二枚出していた。二〇一三年と二〇一七年。二〇一三年のジャケットはハイトーンのターコイズブルーを基調として、二〇一七年からは色彩が失われていた。白と黒で構成された廃墟の写真が印象的だった。羅列された曲目を眺めてもなにひとつとして歌が浮かばなかった。そしてちょうど、近日、新しいアルバムが発売されるらしい、二〇二〇年八月三日に。何故だかそれを八月七日と勘違いした。八月三日にも八月七日にも個人的な何か由縁があるかというと、ない。誰かの誕生日でもない。誕生日を覚えている人なんて一握りだけ。けれど七日だと思い込んだ。そうか、七日、と、仕事以外にはまっさらになったカレンダーのアプリに記載した。間違った約束。

 私が中学高校大学と卒業し、就活に失敗してバイト先にそのまま就職した間にも彼等は音楽に取り組んでいた。飛び抜けたヒットは飛ばさず、東京と大阪のライブハウスを中心に活動し、時折、他の地方でも演奏を行っていた。手元のスマホで公式ホームページをスライドさせていけば、私が離れていた間の彼等の経歴が、表層的に伝わる。そして唐突に、埋められようもない、空白が存在した。かろうじて掲載されているのは、アルバム発売を記念したライブツアーが中止になったという報せだった。年が明けた一月、すぐに東京で対面式のライブをする予定だったけれど、感染が再拡大した影響で中止になっていた。

 去年、二〇二〇年は、流行病で多くの人が空白を味わった。

 同年六月、同僚の大峰さんにウイルス陽性と検査結果が出て、誰しもに生じた巨大な穴に放り込まれた。隔離期間中は当然仕事を休むことになった。職場は私の自宅から自転車で十分ほどの距離にある、駅前のパン屋、ニシウラベーカリーだ。

 大峰さんの陽性の報せが届いた翌日の早朝、いつも通り音を立てないように家を出た。

 私が出勤するよりも早く店に行き、毎朝パンを作り始めている和史さんと夕子さんは、夫婦でパン屋を開くのが夢だった。元々は夕子さんが料理を好む人で、付き合いだしてから和史さんが触発されて料理を始めてのめりこみ、やがて自分でパンをこねるようになった。二人とも一般企業に就職したのをきっかけに同棲を決め、新たに住んだ地域で、アパートから歩いて五分といったところに日曜日だけ開けているクッキー屋があった。一軒家の軒先に棚を作って売る、売り場としては一畳ほどの狭さだった。夕子さんは和史さんとその店に初めて行った時、アーモンドクッキーと抹茶クッキーをそれぞれ一袋ずつ買った。そして唐突に、夕子さんが六歳くらいの頃、クッキー屋さんになるのが夢だったことを思い出した。その話を、一口サイズのアーモンドクッキーと抹茶クッキーを二人で頬張りながら話した。まだ夫婦でなかった時のことだ。和史さんはその話を聞いて、幼い夕子さんの可憐な夢にあたたかい思いを馳せここまで育ててくださった夕子さんのご両親に感謝しこの人と家族になりたいと改めて決意すると共に、昼に食べた焼きたての食パンを思い出した。たまごのサンドウィッチ、レタスとトマトのサンドウィッチ、至って平凡なメニューだったというのにこの世で一番美味しかった。だから和史さんはパン屋もいいんじゃないかと話しだした。いつかパン屋を始めたら楽しそうだと。いいね! と夕子さんが朗らかに笑った。やがて二人で婚姻届を出してまた数年が経ち、和史さんが転職を考えはじめた頃に、夕子さんのいいね! がぽんと浮上した。赤く点灯した直感を信じ一念発起して開いた店で、今私も働いている。そう和史さんが話してくれた頃、私は二十歳になったばかりだった。成人式を終えた一月、閉店後の新年会、祝賀の言葉と共に、そのプロポーズのような作り話のような惚気話を淀みなく赤い顔で言ってのけたのに対し、二十歳の若造は、素直に素敵ですねと言っておけばいいところを可愛げもなくそれ本当の話ですか? と真面目な顔で疑うと、夕子さんが、ひとついいことを教えてあげよう、と横から切り出した。アルコールの入った話は概ね適当です、笑いながら断言した。その表情は、いいね! と言った時の笑顔と似ていたかもしれなかった。凍てつく冬の夜から守られた居酒屋の片隅。誰かの明るさや誰かの悲しみを掻き回して忙しない熱気。その頃まだ大峰さんはいなかった。彼女はまだ高校生だった。当時のバイトスタッフは他にもいた。飲み交わし、大皿に箸をつついている人がいた。もう名前を忘れてしまったけれど、確かにいた。様々な理由で辞めていった、空白を埋めるためにバイトの募集をかけて、入って、辞めて、繰り返す中でやってきたうちの一人が大峰さんだった。



『消えない残り香』74P/正方形/500円

エッセイ五作+表題作の小説一作を収録。

2022/11/20文学フリマ東京にて初頒布。

めどがたっていませんが、準備次第通販でも販売予定です。

https://c.bunfree.net/c/tokyo35/h1/R/14

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