ここでは特にテーマを決めず、思いつくままなにか書いてゆきたい。
回転しない寿司を食べたことがない。 職場近くの地下街に無回転寿司があるのは知っている。
でも入る勇気はない。 おそらく店内に入ったら、「まさに寿司職人」然とした――白髪混じりの角刈りで、しかめっ面(仁義なき戦いに出てきて敵対組織の親分さんに中腰でピストルを向けてそうな)――オジサンが腕を組んで待ち構えているに違いないのだ。
僕は心のなかで、親しみをこめて彼を「大将」と呼ぶ。「大将」と呼んで密かにクスクスと笑う。
もちろんコレは心の中だけで実際には呼ばない。たぶん、そう呼ぶと「大将」はギロッと剃刀のような目で僕を睨む。そう、「大将」をそう呼んでいいのは通い始めて15年ぐらいの常連だけなのだ。素人ふぜいが気安く呼ぶのは重大なマナー違反なのだ。
常連のなかにも序列、つまりはヒエラルキーが存在し、5年や6年程度かよっただけの常連では「大将」はオシボリすら出さない。それでもめげずに通い続け10年目でようやくオシボリを賜るようになり、おおむね翌11年目からソレで顔を拭くことが許される。先方との折り合いもあるが「大将」を「大将」と呼んでよくなる時期もこのあたりだと推定される。
そして今日、店内にはじめて足を踏み入れた一見である僕――つまりは、猛禽の檻に放り込まれたおびえる齧歯類のような僕―― をみて、「大将」はワザと聞こえるように舌打ちをする。そしてやはりワザと目を合わせないよう虚空に睨みを効かせ、一言も発しない。
僕はどうしたら良いのかわからず、おろおろと右を見て、左を見て、一目散に逃げ出したい気持ちに駆られる。
無回転寿司屋の作法に不勉強だった自分を呪う。 服装がマズイのだろうか。 あるいは挨拶がよろしくないのか。 ないしは手土産などを持参しなかったのが無礼にあたったのか。
どれが正解かはわからない。「大将」は黙して語らず、相変わらず虚空を睨みつけているだけだ。 眉間のシワはいよいよ険しさを増し、僕などは自分が『まな板の上の鯉』である苦境を嫌というほど自覚する。そして「ま、まな板の鯉……寿司屋だけにね」という気の利いた冗談を舌の根でスリ潰す。ついでに浮かんだ「スリ身だけに」という諧謔ももちろん喉から出さない。
やがて凍てついた空間を打破せんと、先に入店していた常連らしき男が助け船を出してくれる。 「まぁ、兄ちゃん、そこ座んなさいな」
この人はまだ「オシボリ」を貰えてないタイプの人だ――。僕はつぶさに観察しつつも弱々しく、牙を抜かれた負け犬のような笑顔で勧められた席に座る。もちろんこの店にはカウンターしかない。ここは無回転寿司屋なのだ。テーブルとかあっても「大将」は「大将」の手の届く範囲しか配膳しないのだ。
カウンターを隔てて僕と「大将」が対峙する。これは壁だ。このカウンターは壁なのだ。城壁、あるいは西と東にドイツを分けたベルリンの壁――。カウンターの向こうは別の国なのだ。
僕はゆっくりと注意深く、店内を見回す。見ればカマボコ板のような木材に達筆でメニューが書かれている。達筆すぎて読めないタイプのやつだ。それぞれのカマボコ板の下部に書かれた文字だけは読める。『時価』
これは噂に聞いた通りだぞ、と僕は事前調査のおかげでどうにかパニックに陥らずに済む。 だが、何から頼めば?
きっとこういった店では「素人はコレから」という厳格かつ暗黙のルールがあって、その戒律を破ると叩き出されるに違いない。 僕はフイに――昔の上司が「最初はカッパ巻きからだ」と言っていたのを思い出す。そうだ。確かにそう言っていた。
僕は「カッp――」まで発声して、あとは飲み込んだ。 あぶない! よく考えろ! この店――こんな無回転寿司屋にこんな高級店に、カッパ巻きはメニューとして存在するのか? 時価の店だぞ? そもそも時価のカッパ巻きなど、違法スレスレなんじゃないか?
カッパ巻きの表示を探して店内のカマボコ板をチラチラと横目で確認するも、やはり達筆で読めない。
――最初はカッパ巻き……元上司が得意げに言っていたアレは、「先に安い寿司で腹を膨らませる事によって、高い寿司を少量で済ませる」という貧乏くさい経済的合理性の話だったようにも思う。上司は決して裕福ではなかったから……。 もしかしたらあの人も無回転寿司たべたこと無いんじゃないかとの疑念すら浮かぶ。
先ほどまで何ともなかった胃がキリキリと痛みはじめ、もはや食事どころではない。
「今日は良いの入ってる?」
無オシボリ常連が、それなりの心得を感じさせる言葉を吐いた。 なるほど、これが正解か――。 さすが常連……。僕も便乗して――。
しかし! 虚空に向けられていた「大将」の双眸がギラリ、常連に突き刺さる。
「ウチのは、毎日、全部、いい品だが」
――こいつ、外しやがった!
しょせんは無オシボリ民、ベテランを装っても、まだオシボリすら貰えていないヒヨッコなのだ。自己顕示欲だかに抗えず僕の前で「ちょっといいとこ」「ツウっぽいとこ」を見せようとした小市民に違いない。なんて愚かなんだろう! なんてミジメなんだろう!
無オシボリは、閻魔大王のまえに引き出された罪人がごとく、うなだれ、小刻みに震え、目を見開き、ただひたすらカウンターの木目をその目で追っていた。
入店してからどのくらいの時間が経っただろう? 1時間か2時間か。あるいは1分間、じつは数秒かも知れない。
時間感覚などとうに失われ、僕はただ無意味にしゃく、しゃくと鳴る自らの鼓動を数えていた。無おしぼりはカウンターにポツリ、ポツリ、と落ちる自らの脂汗を数えていたのではないか。
すると、ふわり、店内の空気が動いた。入口がガラガラと音を立てて開かれる。
「おう……大将。いつもの頼むわ」
この発言だけでわかる! これは、15年級の大物――! 上級常連!
恰幅の良い着流し、1980年代に流行ってたような大きなドロップ型のサングラス……イナセという古代の表現がぴったり似合う初老の男性だ。石原軍団にいそう、僕は顔を伏せたままで彼の姿をチラチラ盗み見る。
「ふん! 『いつもの』じゃわかんねぇよ!」
売り言葉に買い言葉。大将は怒気ふくみの言葉で応じる――が、すっと石原軍団に湯気の立つオシボリを差し出した! ああ羨望のオシボリ! もちろん、石原軍団はソレで気持ちよさそうに顔をふいた。
いま1番顔をふきたいのは、脂汗に睫毛まで濡らしている無オシボリ男に違いない。だが、もちろん彼にはオシボリどころかティッシュの一枚も配給されない。当然だ、ここは苛烈な格差社会なのだから。
『イングランド銀行を潰した男』――投資家ジョージ・ソロスの言葉が僕の脳内で蘇る。 「まずは生き残ること、寿司はそれからだ」
石原軍団が顔をふき終わる――つまりは彼が自身の有する特権を存分に行使し終わるより早く、「大将」の手は動いていた。 早く、無駄のない動きで、『小さな芸術品』が大将の掌のなかで創造される。ああ、寿司だ。あれが寿司だ。
やがて、石原軍団がカウンターに汚れたオシボリを置いたと同時に、『鼻緒のない下駄みたいな板のやつ』に乗せられた寿司2貫がコトリと配膳される。ああ、あれはハマチだろうか、鯛だろうか。とにかく時価のやつだ。
石原軍団は、醤油もつけずに(きっとこういう店では醤油をつけるのは素人的でダサいとされる)素手で大きな口に放り込み、目を閉じて咀嚼し、嚥下する。その一連の行動をもう一度繰り返すと、これまたカウンターにコトリ、と置かれた熱いお茶(なんか難しい魚の漢字が隙間なく羅列されたやつ)を一口やる。
その湯呑みがカウンターに置かれるより早く、新たな『鼻緒のない下駄みたいな板のやつ』がスッと配膳される。
「今日は――いいボッショリ(たぶん高級店には、こういった庶民にはその存在が知られていない謎のネタが存在する)が入ったんでね……」
今日のオススメを訊ねてあえなく撃沈した無オシボリ男の耳に、この言葉は届いただろうか? それは永遠にわからない。
石原軍団はニヒルに片方の口角だけをクイッと上げる。
「ほう、ボッショリ(たぶん聞いたこともない希少な魚の希少部位。毎日は水揚げされない)か……。久しいな」
そう言って、ボッショリを口に放り込む。サングラスの奥の目が閉じられ、希少なボッショリを大事に味わっているのがわかる。
そうして、ゆっくりと二度、深く頷き、さながら無意識にこぼれ落ちたかのように言葉を漏らす。
「ウム、旨い……」
きっと美味いんだろうと思う。
この「旨」という、いかにも上級的な漢字を使うのもやはり上級常連にだけ許された特権であり、僕のようなミジメな一見や無オシボリ男のような最下層の民は、そのカーストから這い上がるまではザコっぽく「お、おいしいです」と平仮名での感想が推奨される。
そうして、石原軍団は例の魚の漢字が沢山書かれた湯呑みをグイと傾け、まだ湯気の濃いお茶(たぶん緑茶で京都なんとか園とかのやつ)を苦み走った表情で一気に飲み干すと――立ち上がる。
「腕ェ、あげたな大将……。ごっそさん」
そういうと、懐からむき出しの万札数枚を取り出し、カウンターにそっとのせ「また寄せてもらわァな……」
着流しの裾をヒラリ翻し、石原軍団は暖簾をくぐり退店して行った。
ああ、回らない寿司とはこういうモノなのだ。こういう世界なのだ。 この人たちは寿司のみならず、文化を食べているのだ。これが日本食の粋なのだ。味覚だけではなく、触覚、嗅覚、視覚、聴覚、あるいは六番目の感覚まで使って食べるのが『無回転寿司』なのだ。
石原軍団の退店のどさくさに紛れて、僕と無オシボリもコソ泥のように店から逃げ出した。 無オシボリは、入店したときの僕がまさにそうであったような弱々しい負け犬の笑顔を作って言った。
「えへへ、アタシね、実はまだあの店で寿司を食べたコトないんですよ。へへ、ミジメでしょう? 今日こそは、って思ってたんですがねェ。いやはや。まぁ……お仲間ってワケですよアタシら」
僕は負け犬ふぜいに仲間意識を持たれても迷惑なので、軽蔑の一瞥だけして歩き出した。僕は貴方とは違うのだ。群れる行為など弱さの表明ないし敗者の証明に過ぎないのだ。
そんな僕の背中を、無オシボリのキリキリと感情的な声が追いかけてくる。その声はまるで悲鳴だ。
「アナタ、必ず戻ってきますよ! アタシにゃわかるんだ! アナタも『鼻緒のない下駄みたいな板のやつ』に乗った寿司を一度でも、食べてみたいはずなんだ! ボッショリが何かも知らないまま死んでゆくなんて耐えられないンだ!」
僕は思う。『鼻緒のない下駄みたいな板のやつ』に乗った寿司4貫が数万円だというのなら、回転寿司になんども行った方が満足度が高い。だいたいボッショリってなんだ?
そんな得体の知れないものより醤油をたっぷりたらしたハマチ、ブリでいい。あるいは食通にはバカにされるサーモンでいい。
そう、最初にカッパ巻きから始めよう。そして無回転寿司には無いであろうカルビ焼肉寿司を食べよう。カリフォルニア・ロールもいいな。ニセモノのイクラだって美味しいんだぞ。「安物のウニは臭い」と偉い人は言うけれど、安物しか食べたことないから比較しようがないんだぞ。
そうして僕は一人、回転寿司へ向かう。 文化はきっと、『かくあるべし』の外でも、ささやかに生まれ、沢山の愛情を惜しみなくそそがれれ、ゆっくり育まれるものなのだから。
無オシボリの悲鳴は時期の遅い祭囃子にかき消され、ハクチョウ座が傾く夏の夜空に吸い込まれていった。
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