記事、カエル男のこぼれ話。
忘れないうちに書いておく。
瑣末な話だが『72年に目撃されたカエル男に尻尾があったか無かったか』という点が、ささやかな論点になることがある。
イグアナ説に対し
「いや、イグアナだったら尻尾あったはずだろ」という話で、カエル男の目撃イラストに尻尾がないのはどういう了見だ? ということで(ごく限られた)一部ではやや論点となっていた。
瑣末――と記事では特に触れなかったが、イグアナ説を押し通そうとしたマシューズは2016年のインタビューで「イグアナだったが、尻尾は無かった」と触れている。
筆者などは最初「いやトカゲじゃないんだから、さすがにそう簡単に尻尾は無くならんのでは?」と考えていたが、ストレスや病気などで意外と切れることがあるらしい。
目撃された季節は道路が凍結するほどの寒さだったゆえ、温暖な気温を好むイグアナがストレス――ないし病気で尻尾を失ったんだろう。という肯定的な意見もあった。
本当にイグアナだったんだろうか。と疑問符を抱え続けている筆者としては、モヤモヤとしたものが残る。「私が飼っていたイグアナです」と誰かが名乗り出ていたら納得もゆくのだけれど。
ともかくも、終始スッキリしない空気の漂う記事だった。
いつもの事だが、構成――つまりはプランや結末を考えて書くような優れた能力に恵まれていないので、基本的に記事は行き当たりばったりで書いている。
そのせいで、こんなモヤモヤした思春期――アンジェラ・アキの『手紙』に出てくる15の君――が書いたような記事になった。
誰の言葉を信じ、歩けば良いの?
いつも起承転結の『起』だけはちゃんと意識して頑張るが、ソレ以降は基本的にノリとバイブスでグルーブをフロアにボミングしてセルアウトさえしているのだ。
もちろんこの文章も行き当たりばったりで書いているので、どう終わるか考えてもいない。ゆえにスリリングでサスペンスな読み口が持ち味となる。
たまに「松閣アニキ、いつも記事の起承転結がキッチリしてて流石ですね!」とかの感想をメールで言われると、「ふふっ」となる。「適当にやってるのに、ボウヤ騙されちゃってるね」と。
起承転結も序破急もない、韻もリズムもない――高校生がやってるフリースタイル・ラップみたいなモノなのにね。
記事で使用した『3Dカエル男』のくだりも、アドリブでありH3タグを打った2秒後に考えたものだしね。アレが必要だったかどうかに関しては議論の余地はあるだろうが、少なくともラブランド・フロッグを3D化する試みは史上初だったと思う。意義や意味は別として。
同業者からの異論はあるだろうが、こういう記事って資料集めが9割だと思っている。書き手によって、クセというかパターンは存在するのだろうが、取材したり資料集めるのが大変なのであって、執筆なんて1割以下の労力。ノリとバイブスでセルアウトできるものなのですよ。
だいたい文章などどれだけ書き手がこだわったところで、読者は真面目に読んでないと俺などは睨んでいる。過程飛ばして総括だけ読む人とかね。
昔、CHAGE&ASKAが「推理小説を最後から めくれるようなハズはない!」と青筋たてて歌っていたが、そんなことはなかった。最後だけ読む輩も少なからずいる。
フランス料理におけるフルコースの前菜が不要、居酒屋のお通しが不要、と考える人だっていて、それは実際そうなのだから。
とはいえ文章を書く上で『起承転結』や『序破急』はライター講師的な人たちに言わせれば「あなた設計図もないのに家が建ちますか?」ということらしく、たしかに他のライターの記事が立派な一軒家だとすると、俺の書いたものはバラック、付け足し付け足しの違法建築を繰り返し、何十年か後には『怖い間取り』とかで取り上げられるようなモノである。ミジメな気持ちになる。
ともかくも、資料さえ集めてしまえば後はたぶんなんとかなるモノなので、ぜひ皆も挑戦してみて欲しい。
筆者としては『調べて楽しむ』という文化――市民ジャーナリズム的なモノが根付いて欲しいと日々願うモノである。
まえに「俺も書きました!」とメールをくれた人がいて、記事を見てみると「この記事は5分で読めます」「いかがでしたか?」系のモノでネット検索して上位に出てきたモノをまとめただけのものだった。SEO対策だけはしっかりしてて、Google検索の上位を独占しがちなやつ。
俺は「そうじゃない」と思った。そうじゃないけど他者に「コストをかけろ」なんて到底言えない。ただ苦笑いして「いいんじゃないっす」と返した。俺も負け犬だった。
きちんと調べてある程度裏を取る。文面では一行――もしかしたら一行にも及ばない部分に存外コストがかかる。俺などは趣味の延長でやっているからまだしも、ビジネスとしてはなかなか成立し辛いモノなのかも。とにかくこの世は世知辛い。
コメントするにはログインが必要です