2024/03/31、『レイニ』という曲を投稿しました。 これを書き始めたのが2024/11/4なので半年以上前の曲ですが諸々思い出したり、今聴いて思うことをつらつらと述べてみようと思います。 まずこの曲が産まれたきっかけですが、他の曲と少し違います。 とある日、シャワーを浴びていると空から曲が降ってきました。 それが歌い出しのレイニーデイ連呼部分です。 歌い出しだけのものでしたが、浮かんだのなら打ち込んでみようとミクさんに歌ってもらい、勢いで編曲もしました。歌い出しだけ。 そしてその続きを足したものがこの『レイニ』になりました。 (サビだったりは歌い出しをアレンジして作ったものなので、歌い出しが先に出来ている) とまあ、メロこそ普段と経緯で作っていますが、編曲については前回の『才愛メトロノーム』と同様、色々なことを考えながら進めていました。勢いで。 (矛盾してはいません) 今回は具体的には『普段使わない音を使おう』というのを試しています、ので僕の曲の中では珍しいくらい可愛い感じの電子音が多いです。 なんか水たまりとか雨とかって跳ねてるイメージがあったので、それに合わせました。 結果として編曲にはかなり満足しています。この曲もしかして名曲なんじゃないか?って思ってます。(自画自賛) それはそうと、可愛い音とキャッチーなメロディ(主観)で出来たこの曲、歌詞はそうポップなものではありません。 雨はよく「人の悲しみ」を表現されるときに比喩として用いられます。今回もそれです。 少なくとも僕は、脳が働かない時のことを「(頭が)モヤモヤする」と感じるし、気分が乗らないことを「ジメジメしてる」と思うし、気分が落ちている時は体温も下がる方が当てはまるので、悲しみを雨や雲に例えることにはある程度しっくりきています。 (2024/10/18投稿の曲『ワールドエンドレイニーデイ』で述べている通り、それでも所詮比喩表現にしか過ぎず、差異は必ず生じるものとは思っていますが) 基本的に他人の気持ちは想像しかできません、知る手段がありませんから。 他人の言語で伝えられたとしても、それは真実であるかどうかわかりません。 ならば、『幸せ』であることについても、実際のところそれが存在しているのかなんて知りようがない。 それでも、「他の人は幸せを抱くことが出来ているんでしょう?」と嫉妬に似た感覚を抱いてしまう、のは何故なんでしょうね。 きっとそれは、言い訳みたいなものなのだろうなぁと個人的には思っています。 「自分は不運で、不幸で、『幸せを抱けない側』に産まれてしまった」と思ったなら、少なくとも悲劇的に人生を彩ることが出来るので。 「それならこれは 自業自得でしょう?」 そんなキャッチー風な湿っぽい曲、『レイニ』でした。 零にて レイニーデイ
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