手の届きそうな灰色の雲が速いスピードで空を横切っていく。その雲の中は混沌とし、ぶつかり合い擦れ合いそして冷たい雨の涙を流しているように見えた。冷たい雨は地表を濡らし人々の心を憂鬱にさせその動きを鈍らせた。しばらくすると雨は次第に小さな塊となり人々の剥き出しの顔の皮膚を刺激し始めた。叙々に増えていくその小さな塊のせいで視界は狭くなりすれ違う相手の顔でさえも見え難くなっていった。小さな塊は少しずつ肥大化し、ついには白く冷たいベールを路上に作り出した。隠し切れない罪がそのベールを透して薄っすらと見え隠れしているように見えた。大きな罪でさえ隠しきってしまいそうな力がその純白の雪に秘められているような気がした。 香堂は炬燵の上に放置していった明日香の過去から来た手紙を手に取った。いくら見ても意味の無いものにしか見えなかった。その下に組み合わせ始めたパズルが寂しそうに佇んでいた。香堂は手紙を丁寧に折り畳み封筒へ戻した。炬燵に足を滑り込ませると、中はまだ冷たかった。香堂は無意識にパズルを組み合わせ始めた。ゆっくりと一つ一つの欠片の絵柄を確かめながら組み合わせていった。やっと3分の1くらいの欠片が組み合わさった。香堂は深くため息をついた。ふと明日香の顔が脳裏に浮かんだ。以前見た夢を思い出した。双子の美咲と明日香が小さかった頃の顔を香堂は小学校の卒業アルバムでしか見たことがなかった。夢に出てきた幼い双子の顔を思い出して見た。何かが頭の中で閃いたかのようにほんの少し眼を大きく見開いた。香堂は美咲と明日香の通学した小学校を訪ねてみようと思い立った。もしかするとふたりを担任した教師から何か聞けるかもしれない。香堂は直ぐに立ち上がった。ストーブの消化ボタンを押すと火は一気に消えた。灯油の臭いとその焦げた臭いが混じりあい不快な空気となって部屋中に充満していった。炬燵のコンセントを引き抜きジャンバーを鷲掴みにするとそそくさと部屋を出た。 歩道にはかなりの雪が積もっていた。汚い物も綺麗な物も全て平等に白く染め上げていた。香堂は明日香たちが以前住んでいた古い家に向かって歩いていた。その家のある街並みを歩いていると見覚えのあるデザインの看板が眼に入った。香堂は歩きながらそのデザインをどこで見たのか記憶を辿ってみた。それはあの大きな封筒に描かれたデザインだった。明日香たちの家の売買を委託してある不動産会社のそれだった。香堂はそのビルの前で立ち止まるとしばらくの間考えた。香堂は明日方達の住んでいた家の近辺にある小学校の所在を訊ねてみたかった。 「胡散臭い建物だなこのビル…」 香堂は本のように縦に伸びたその建物を見上げて心の中で呟いていた。 ビルの1階は弁当屋になっていた。間口の狭いビルでひとつの階にひとつの貸し店舗しか造られていないように見えた。弁当屋の隣に階段があった。階段も人一人通れる位の幅しかなかった。その階段の左を見ると少し奥まった薄暗い空間の突き当たりの壁に金属製の重そうな扉が2枚横に並んでいるのが見えた。香堂はその扉の右側についている矢印の描かれたボタンを押した。扉の上を見ると1から7まで横に並んだ数字の6が光を放っていたがしばらくするとその光は5へと移った。光が1まで順序良く移ってくるとポーンという子気味のいい音を発した。ゆっくりとその重い扉が開くと香堂は素早く身体をその中へ滑り込ませた。香堂が中についているボタンを押すとその重い扉はゆっくりと閉まった。香堂の足は重力が増加していくのを感じ取った。狭く薄暗いその空間は香堂の胸を圧迫した。エレベーターは4階で止まった。香堂はすばやくそれを降りると目当ての不動産会社の事務所に向かった。各階に一店舗ずつしかないと思っていたそれは4階には二店舗あった。香堂はさっき外で見た同じデザインの看板を見つけると、そこへ向かって足を進めた。 不動産会社の事務所の扉はガラス張りになっていた。香堂はそれを引き明け中に入った。ドアが開くのと同時に魂を抜き取られた機械女の声がした。 「イラッシャイマセ…」 入ってすぐ左側がカウンターになっていた。カウンターの中には中年の小太りの女がつまらなそうな顔をして座っていた。女は香堂が入り口のドアを引き開ける前から既に顔を上げてやはり香堂につまらなそうな視線を向けていた。香堂はその女の前で立ち止まった。 「すみません。ちょっとお訊ねしたいんですが、市居京香さんの物件なんですが…」 香堂がそこまで話すと女が口を挟んだ。言いたいことを最後まで言えなかった苛立たしさが胸をちくりと刺した。 「ああ、社長なら今外出してますが」 女は香堂の話も聞かずに先走っていた。香堂にはその女が全くやる気がないことをすぐさま察知することができた。それが直ぐに分かる程その言葉には愛想のひと欠片も含まれていなかった。 「いえ、社長さんじゃなくても構わないんです。委託している物件の近所に小学校があるかないかをお訊きしに立ち寄っただけなんですけど」 女はしばらくの間動きを止めた。まるで香堂の言った事をわざと全く理解していないような表情を顔に浮かべていた。口はだらしなく半開きになっていた。その口を見ているだけで小さく弾けそうな憤りが頭の左端に疼いているような感覚を覚えた。 「はあ…、小学校ですか」 香堂はこういった会話が嫌いだった。この女のように相手が言った事をもう一度繰り返すような、増してや露骨に不満を込めて話されるのは納得がいかなかった。 「あんた人が丁寧に聞いてるのにその態度は無いだろ」 香堂は滅多に怒らないタイプの人間だが、気が立っていたのか思わず思い切った言葉が口から出てしまった。たまたまこの時溜まっていた鬱憤が漏れてしまった。ついていない女だと幾分憐れに思った。女は直ぐに自分の過ちを認めたのか、それとも怖がっているのか俯いてしまった。香堂はそれを見て不満をぶつけたことに幾分後悔した。 「そんなに気にしないでください。私今気が立ってて…。兎に角市居京香所有の一戸建ての売買物件のそばに小学校があったら教えてもらえればそれで結構です」 香堂は急に面倒くさくなって捨て鉢な言い方をした。女は尚も俯き続けていた。そのままの状態で小さく答えた。 「あ、あります。ほ、星ヶ丘第二小学校っていうのが…」 「ありがとう」 香堂は短く礼を言うとさっさと事務所を出て行った。女は再び俯いていた。 「アリガトウゴザイマシタ」 背後から魂の欠片も無い無意味な声が聞こえた。香堂は一瞬頭を抱えたくなった。一瞬視界の中にある全ての物を殴りつけたくなった。何かが間違っている…。意味の分からない捨て鉢な悔しさが胸の中に込みあげてきた。 下りる時は階段を使った。エレベーターを待つことでさえ時間の無駄のような気がしていた。いち早くこのいけ好かないビルから逃げ出したい気持ちだった。細い階段を降りていくと途中でビルと同じ痩せ型のやはりいけ好かない顔立ちをした男とすれ違った。男は不動産会社の社長といった身なりをしていた。香堂はこの男があの会社の社長だとするとあの事務員の態度が納得できる等と勝手に決め付けていた。もしかするとこのビルを所有しているのもこの男なのではないのかという気がしていた。その男とすれ違った後立ち止まって幾分神経を尖らせ耳を立てて見た。香堂は男の足音と自分の想像を重ねていた。やがて足音は遠退いていった。そしてそれは最後に微かな音の振動となって香堂の耳に漂ってきた。 「イラッシャイマセ…」 香堂は首を何度も縦に振った。何故か勝ち誇ったような気分になった。階段を降りていく足取りも幾分軽くなっていた。 歩道には既に足がすっぽりと納まってしまうくらいの雪が降り積もっていた。香堂はその上を滑らないように注意しながら歩き始めた。香堂は白い雪の上を歩きながら以前図書館で調べた市居家の事件記事を思い出していた。双子の父親と弟が死んだのは彼女達が11歳の時である。美咲の過去から来た手紙の内容を読むと父親と弟の死んだ後に手紙が書かれていることが分かる。その手紙が小学校の行事で書かれたものなのかそれとも中学校で書かれたものなのかは今のところまだわからない。双子が通学した小学校を訪れることで、もし未来への手紙と題された行事に双子が参加していたとしたら双子は手紙を11歳若しくは12歳で書いたことになる。もしその行事がその小学校で行われていなかったとしたら、双子が卒業後どの中学校に入学したのかを訊ねなければならない。そしてこの場合双子は13歳から15歳の間にあの手紙を書いているということになる。香堂は手紙の内容を思い出してもしかすると中学校の時のものではないかと思った。書かれている漢字や言葉遣いなどが小学生のものとは思えなかった。香堂はその中学校も訪ねてみるつもりだった。逆に高校生時代のものではないだろうとも思った。その歳で書いたものを20歳で読んだとしても、あまりにも過去が近すぎて面白みに欠けるのではないだろうか。美咲がもし本当に父親と弟を殺していたとしたら、それは双子が11歳の時だ。その11歳の恐らくは夏休みの間に起きた事故の後の双子の様子を当時担任した教師に訊こうと考えていた。そしてあの手紙が書かれた時の双子の様子を訊くことができれば、何かを掴めるのではないかという小さな期待を胸に抱いていた。その朧げな何かに心が引きこまれていくような気がした。 香堂は星ヶ丘第二小学校の位置を確認してみようと思い、通り道沿いにあった交番の前で立ち止まった。交番の入り口は二枚のガラス張りの掃き出し窓で閉ざされていた。その窓の内側についている水滴で見透しはあまり良くなかったが中で2人の警察官が動いているのが見て取れた。香堂が入り口に立つと警官の一人がそれに気付いて親切に入り口の扉を開けてくれた。 「ちょっと路をお尋ねしたいんですが」 警察官は寒がりなのか、直ぐに香堂を交番の中に招き入れた。香堂は警察官の小さな行為を有難く思った。乾き切った地面に滴り落ちた一滴の水が瞬時に吸い込まれ馴染んでいくような即効性の優しさが純白の歩道を歩いてきた香堂の凍える胸を温めていった。そのたった一滴の優しさは胸だけに留まらず全身に拡がり、ついには体温となって冷え切った身体を包み込んでいくような気がした。香堂は交番の中に足を踏み入れながら訊ねた。 「星ヶ丘第二小学校っていうのはこの辺なんでしょうか」 香堂がそう訊ね終わるのと警察官が入り口のドアを閉めるのがほぼ同時だった。 警察官は灰色の事務机の上にその近辺の地図を取り出して広げるとしばらくの間ページを捲ったり、前のページに戻ったりしていた。ついに見つかったのか、そのページを指差して学校への道筋を説明し始めた。警察官がページをあっちに行ったりそっちに行ったりしている間に、香堂の頭は急に雪が降る寒い空間から暖かい交番の中に入ったせいで頭が朦朧としていた。そこで急に警察官の道案内が始まってしまったので最初の方を聞き逃してしまった。しかし訊き直すことには気が引けて、そのまま小さく頷きながら道案内を聞いていた。そして最後に警察官は地図上の小学校の位置を指差した。警察官が頭を上げて香堂に視線を投げかけた。分かりましたかと言いたげな顔をしていた。警察官とほぼ同時に顔を上げた香堂は朦朧としながら微かな笑みを浮かべて見せた。警察官は風邪を引いている様子ではなかったが一つだけ咳払いをしてみせた。 「オホッ、もう一度繰り返しますよ」 朦朧とした顔をしている香堂に気付いたのか、警察官は再び指先を地図に落とした。警察官の言葉に安心した香堂は今度こそ聞き逃すまいと再び地図に視線を戻した。小学校の大体の位置を把握することができた。 香堂はその警察官に向かって深くお辞儀をして礼を言った。 「珍しく大雪ですから足元に気を付けてください」 香堂はもう一度、今度は小さくお辞儀をした。香堂はこんなことだったら最初からこの交番で聞いていればあの忌々しいビルで嫌な思いをせずに済んだのにと、交番とビルの位置関係を心の中で残念がっていた。 道路の車線からは車のタイヤに装着されたチェーンと幾分固まり始めた積雪とが擦れ合って心地のいい低く鈍い音を発していた。香堂は再び歩きだすと歩道に積もった雪が自分の足の重みで押し潰されながら固まっていくその感触を靴の底を透して味わっていた。それは一度に固まってしまうのではなく、小さな鈍い音と振動を伴っていくつかの段階を経て沈みながら路面にへばりついていった。香堂は背後を振り返ってみた。さっき出てきた交番が見えた。その交番から今自分の歩いている位置まで自分の足跡が一直線に連なっている。それを見た香堂は自分自身の過去から姿の見えない誰かに追われているような錯覚に陥った。一瞬背筋に冷たいものを感じ、前に向き直ると追いかけてくる筈のないその誰かとの距離を広げるために歩くスピードを速めた。しばらく歩くとそれが馬鹿馬鹿しいことに気が付き、スピードを元に戻した。香堂はその自分の行動を双子の過去からの手紙に重ねて考えてみた。人は誰しも楽しい過去ばかりを持って生きている訳ではない。時には嫌な過去を思い出すこともある。それなのに何故未来の自分に手紙など書いて自らを過去に振り返らせるようなことをするのだろう。殆どの人は楽しかった過去を振り返ることにはなるだろう。しかしそれと同時に嫌な過去も、否も応も無くその心に蘇ってくる筈だ。 「そんなもの真っ平だ」 再び後を振り向いた時さっきとは打って代わって憤慨感が胸の中を満たしていた。そして再び前に向き直って歩き出すと、踏み下ろす足の力は無意識にさっきよりも強くなっていた。香堂は力強い足取りのまま自分の足跡を雪面に残し続けながら小学校の門をくぐっていった。 校長室と書かれた札の掛けられた部屋の隣に、応接室と書かれたそれが張られているドアが眼に入った。香堂は用務員の後に続いてそのドアに近付いていった。用務員の男がそのドアを開け先に中へ足を踏み入れた。香堂は用務員に続いて中に入った。応接室の中は廊下と同じように底冷えするほど寒かった。用務員は部屋に入ると直ぐにストーブの前に屈んでそれに火を入れた。その時部屋の壁に取り付けられた小さ目のスピーカーから柔らかいチャイムの音が聞こえてきた。 「授業開始のチャイムですね。教頭先生は今日欠席の先生の代わりに授業されてますのでここで少しお待ちください。大雪だからって休むことはないでしょうにね。生徒だって、私だって休んでいないっていうのに…」 用務員はそれだけ愚痴を言うとストーブの前で立ち上がり部屋から出て行った。何故かその用務員の気持ちが分かるような気がした。世の中にはほんの少しの寒さも我慢できない忍耐力のない人間が存在することを再認識させられたような気がした。 香堂は校舎の昇降口の前の雪を竹箒で掃いていたこの用務員を捕まえてこの小学校の以前のことを訊いてみたのだった。教師と違い転任することの無い用務員の方が香堂にとっては好都合だった。香堂は最初約10年前に双子の女の子がこの学校に通学していたかどうかを訊ねてみた。するとその用務員の男は直ぐに頷いて見せた。双子が入学してくることは滅多に無いらしく記憶を辿る必要もなかったようだった。香堂が双子が5年生の時の担任の教師の名前を尋ねると、流石にその質問には首を傾けていた。それでもしばらくすると用務員の男は記憶の引き出しから一人の教師の名前を引っ張り出してきた。長谷川というのがその教師の名前だった。用務員の男は長谷川という教師は双子が卒業した後、他の小学校に転任になったものの教頭として再びこの小学校に戻ってきたことを付け加えた。そして香堂をこの応接間に招き入れてくれたのであった。 香堂はしばらくの間応接室のソファーに座らせられることになった。応接室に入ってきた時に授業開始のチャイムが鳴ったので約1時間の間そこに座っていたことになる。授業終了のチャイムが鳴るのと同時に香堂は背筋を伸ばして長谷川教頭が現れるのを待った。教頭という言葉を頭に浮かべると、どこと無く香堂の気持ちも引き締まった。長谷川教頭が忙々と応接室に入ってきたのは授業終了のチャイムが鳴ってから10分程経過した頃だった。当然香堂は背筋を伸ばし続けているのに疲れ、寛いだ姿勢をとっていた。しかし応接室のドアのノブが発するガチャっという音と同時に香堂の背筋はピンと伸びていた。 「いやあ、申し訳ありませんでした。お待たせしちゃったみたいですね」 長谷川教頭は香堂とテーブルを挟んだ反対側のソファーに長身の痩せた身体を沈めた。香堂は深くお辞儀をして見せた。 「木澤さんからお伺いしましたが、市居姉妹のお知り合いの方ですかな」 木澤というのはさっきの用務員の男のことだろうと香堂は思った。香堂は長谷川教頭に簡単に自己紹介と市居姉妹との関係を説明して聞かせた。長谷川教頭は小さく頷いて見せた。 「そうですか。私は双子姉妹が5年生と6年生の時に彼女達の担任を勤めました。とても明るくていい子達でしたよ。お父さんが亡くなった時明日香さんはかなり落ち込んでいましたが、美咲さんの方は立ち直りが早かったようで然程落ち込んでいるようには見えませんでした。その後すぐ弟さんが亡くなられたっていうのをお母さんから伺ったんですがね、その時から明日香さんはかなり塞ぎ込んでしまったような印象を受けました。その頃からですかね、姉妹喧嘩が目立つようになったのは…。かなり前のことですから私もあまりはっきりと覚えている訳ではないのですが、喧嘩の内容を聞いていると時折他人の名前が二人の口から聞こえてきたような気がします。恐らく2人の従兄弟とか近所の友達なんだと思うんですがね…。私も喧嘩を止めるだけで弟さんの事故の後だったこともあって深くは追求しませんでした。その他は成績も良かったですよ。確か明日香さんの方は記憶力が凄かったですね。美咲さんの方は想像力が豊かでした。その他には特別手のかかる子供ではなかったということは記憶に残ってます」 他人の名前というのは長谷川教頭の言う従兄弟などではなく美咲の多重人格の弘美と博隆なのではないだろうか。ほんの僅かだが香堂の首が無意識に傾いた。 「先生…、学校の行事で未来の自分に手紙を書くっていう行事がたまにありますよね。先生が2人を担任していた時そういった行事はありませんでしたか」 長谷川教頭は記憶を辿っているようだった。しばらく考えていたが再び口を開いた。 「私も何度かそのような行事に参加したことがありますが、確か2人を担任していた時にはそのような行事は無かったような気がします。ちょっと待ってください」 長谷川教頭は立ち上がると、校長室と応接室を結んでいるらしいドアに近付いていくとそれを二度ノックした。その後それを押し開け中に首を覗きこませた。香堂は長谷川教頭が校長に当時手紙の行事があったかどうかを確かめるものだとばかり思っていたが、校長は不在らしく長谷川教頭何も言わずにドアを元の位置に戻した。 「職員室に行ってきます。多分当時の記録が残っていると思うのでちょっと調べてみましょう」 長谷川教頭は香堂の座っていたソファーの後を通って部屋を出て行った。長谷川教頭は部屋を出て行ったかと思うと直ぐに戻ってきた。応接室に入ってくるのと同時に口を開いた。 「今廊下ですれ違った同僚の教員に聞いてみたらやはり手紙の行事は無かったと言ってました。それが何か…」 香堂は答えに詰まった。あの手紙の内容を話す訳にはいかないだろうということが瞬時に香堂の頭の中をよぎった。どちらにしてもこの小学校の行事でなかったことは明らかになった。長谷川教頭はさっきまで座っていた場所に戻っていった。香堂の眼は長谷川教頭の動きを追っていた。 「いや、特別問題は無いんですが、つい最近そういった2人の手紙が届いたのでもしかするとこの小学校の行事だったのではないかと思いまして…」 長谷川教頭は小さく頷いただけだった。 「ところで先生…、もうひとつお伺いしたいんですが、2人がこの小学校を卒業してどこの中学校に入学したかご存知でしょうか」 香堂は用意していたもう一つの質問を投げかけた。この質問は長谷川教頭にとって簡単だったようで、文字通り即答した。 「ああ、星ヶ丘第一中学校です」 香堂は同じ星ヶ丘と聞いてもしかするとここから近いのではないかと思った。 「場所を教えていただけないでしょうか」 長谷川教頭は地図でこそ描かなかったものの丁寧にその場所への道を教えてくれた。歩くには結構な距離があるのでバスの方がいいとも言ってくれた。香堂は立ち上がりながら長谷川教頭にお辞儀をし、礼を言った。長谷川教頭も立ち上がり香堂のお辞儀に答えるように頭を下げた。二人は応接室を出ると再びお辞儀をし合った。冷たくひとつの塊と化した不動の空気が学校の廊下に満たされていた。 昇降口から出ると用務員が再び積もった雪を掃いていた。香堂はゆっくりとその背後に近づいた。 「木澤さん…、ありがとうございました。助かりました」 木澤用務員は竹箒を掴んでいる手を止めてゆっくりと振り返った。目じりの皺がその優しさを物語っていた。こういう表情はいつ見ても心が和む。老いて皺枯れた声の色も耳を優しく刺激した。 「そんな、大したことじゃありませんよ…」 目じりの皺の数が倍になったような気がした。 「こんなに寒い中大変ですね」 香堂は労いの言葉をかけずにはいられなかった。木澤用務員の頬は赤く爛れているように見え、手袋をしていない手は赤く腫れ上がっているように見えた。それが木澤用務員の人格を露わにしていた。裏と表の区別のない確固たるひとつの人間の人格を見たような気がした。 「これくらい何ていうことはありませんよ。私はね、この学校の世話をして20年余りになりますがね、一度として辛いと思ったことはありませんです。増してや元気な子供達の姿を見ていると、それだけで励まされているような気持ちになるんです。有難いことです。ところであの双子さんのことなんですがね、何か分かりましたか。わたしは何千人とこの学校の生徒を見てきましたがね…、あの双子は特殊な性格を持ち合わせているような気がしてなりませんでした。何と言うか、こう…、意地悪って言うんですか…、そんなどうしても好きになれない雰囲気が漂ってましたです。私は教師じゃありませんから成績とかじゃなくてそういった子供達の性格にはちょっと神経が過敏になっているのかもしれませんですがね…」 香堂は木澤用務員の話を聞きながら浩二の言葉を思い出していた。敏感な人たちは美咲の小悪魔的な性格を瞬時に見破っていたのかもしれない。多重人格を持つ小学生の頃の美咲のイメージが香堂の脳裏に浮かんだ。それはやはりあのうつろな眼をしていた。香堂は身震いするのを堪えて木澤用務員に礼を言った。 「本当にどうもありがとうございました。寒いから身体に気をつけてください」 2人は互いにお辞儀をし終えると木澤用務員は背中を向けて再び雪を掃き始めた。香堂は昇降口前に敷き詰められたまだ薄く雪の残った鉄平石の上を恐る恐る足を運んだ。 雪はさっきとは違って連続的ではなくちらほらと香堂の目の前を落ちていった。香堂は長谷川教頭に言われた通り小学校の前のバス停でバスを待つことにした。バス停は鉄パイプの柱とトタン板でできていて、鉄パイプは雪と同じ白いペンキで塗られていた。香堂は未だ降り続く雪を避けるのに丁度いいと思った。バスを待つ間、谷川教頭の言っていた双子の喧嘩のことを思い出していた。自分の目で実際に見た訳ではなかったが、双子の姉妹喧嘩を想像してみた。美咲の見え隠れする他の二つの人格である弘美と博隆に対して明日香が怒りをぶつけているイメージだった。香堂は姉妹喧嘩の理由が何だったのかを推理してみた。明日香が美咲の人格と入れ替わりに出てきた弘美、若しくは博隆に馬鹿にされたのだろうか。それとも美咲が父親と弟を殺してしまったことを明日香が知り、それを理由に美咲を責めたのだろうか。ふと香堂の脳裏に病室で振り向いた獣のような明日香の顔が浮かび上がった。もしかすると明日香は美咲が多重人格の持ち主だということを知っていてそれを隠していたのかもしれない。美咲の過去からの手紙の内容だと美咲の多重人格の一人、弘美が父親と弟の一隆を殺したことになる。あの時香堂がわざと弘美の名前を口から出したことで父親と弟を殺されたことを思い出した明日香が興奮してあの恐ろしい形相を作り出したのかもしれない。そうするとやはりあの病室のベッドに座っている患者は明日香だということになる。しかし香堂はそのことに確信を得ることはできなかった。香堂は再び混乱し始めていた。 「いったいどっちなんだ」 香堂がそう小さく呟いた時、バスが鈍いチェーンの音を立てながら歩道を挟んで目の前に滑り込んできた。バスが完全に停車して空気の抜けるような音と同時に折り畳み式の自動扉が勢いよく開いた。ほんの少しの間を置いて数人の乗客が降りてきた。皆それぞれ濡れた傘を手に、滑らないようにゆっくりと降りた。その中の一人の女が路面の雪に足を取られて転びそうになったが、運よく倒れまではしなかった。香堂の全身の筋肉が一瞬だったが硬直した。香堂は降りる客がいなくなるのを見計らってすばやくバスに乗り込んだ。背後で再び勢いよく空気の抜けるような音がした。 バスの中は思ったより乗客が多かった。雪のせいなのだろうと香堂は思った。素早く空いている席を見つけて腰を下ろした。通ってきた通路の床に視線を落とすと乗客たちの傘や靴に張り付いていた雪がバスの暖房で溶かされ剥がれ落ち、そのところどころに水溜りを作っていた。バスが加速するとその水溜りは魂でも吹き込まれたかのように通路の勾配を逆に登り始めた。バスがシフトチェンジするたびにその魂を得た液体は様々な動きをした。バスが一定速度になるとその場で再び魂を吸い取られてしまったただの水の塊になった。香堂はその水溜りが赤い血のように見えてならなかった。香堂が頭を小刻みに左右に振ったその時、機械の女の声のアナウンスがバスの中に響いた。その声に反応したかのように数人の乗客の頭がピクリと動いた。 「ツギハ、ホシガオカダイイチチュウガッコウマエ、ホシガオカダイイチチュウガッコウマエデス。オオリノサイハ、アシモトニチュウイシテオススミクダサイ」 香堂にはその機械女の声が魂を持たない不気味な生命体が発する呻き声のように聞こえた。バスが次第にスピードを落としていき、ついには動かなくなると香堂はゆっくりと立ち上がった。前方で再び勢いよく空気の抜ける強く高い音がした。その血で染まった通路を一歩一歩踏み締めながらながら昇降口へと向かった。運賃を支払うとすばやく路上に降り立った。たまたま香堂が降り立った路上には積雪は無かった。小学校の前にあったバス停より立派なそれが建てられていた。 中学校の校庭には珍しい雪に興奮したのか、雪合戦をして遊ぶ数人の中学生がいた。香堂は腕時計に眼をやった。丁度昼食の時間が終わって皆昼休みをしている時間帯だった。丁度いい時間帯に来たことに一瞬だが感心した。その雪合戦をしている学生の一人を呼び止めて職員室の場所を訊ねると昇降口の方へ歩いて行った。背後からやかましい学生達の声が途切れることなく耳に鳴り響き続けていた。 香堂はやはり応接室に招き入れられた。しかし今度は用務員ではなく、双子を担任した男と女の教師2人が一緒に入室した。香堂が思っていた通り2人の教師は短い昼休みのひと時を寛いでいる最中だった。中学校に入学した双子は別々のクラスに編入されたらしかった。香堂は長谷川教頭の時と同じように自己紹介と双子との関係を短く説明した。2人の教師は長谷川教頭がしたように小さく頷いて見せた。 「先生、早速お尋ねしたいんですが、学校の行事で未来の自分宛てに手紙を書く行事がありますよね。お二人が市居姉妹を担任していた時そういった行事はあったんでしょうか」 香堂が最初の質問をし終わると男の教師が直ぐに答えた。 「ありましたよ。確か美咲さんが1年生の時だったと思います。私が責任者を担当したからよく覚えてますよ。そう言えばあの双子20歳になっただろうから手紙が届いてるはずだと思いますよ。でも皮肉なもんですな、受取人が死んでしまうなんて…」 どうやら男の教師は美咲が自殺したことを知っているようだった。 間髪いれずに女の教師が口を挟んだ。 「私も覚えてますわ。明日香さんが他の生徒の封筒と違ってその10倍くらいの厚さの封筒を持ってきたのには驚きました。多分そのせいで私もその行事を覚えているんだと思います。いったい何を書いたのか訊いてみたら顔に笑みを浮かべただけで何も教えてくれませんでした。明日香さんお元気ですか」 香堂は女教師のその質問に言葉を詰まらせた。香堂の脳裏におぞましい獣のような顔をした明日香のそれが浮かび上がった。 「元気です」 香堂にはそうとしか答えることができなかった。そして話を逸らすためにも質問を変えた。 「その頃ふたりに何か変わったところはありませんでしたか」 男教師は記憶を辿っているのだろうか、視線を斜め上の方に向け胸の前に腕を組んだ。女教師の方は俯いて記憶を辿っているようだった。女教師が急に何かを思い出したように顔を上げた。 「そういえば余り関係ないことかもしれませんけど、2人がお芝居の稽古をしているような風景を一度見たことがあります。この中学校演劇部があるんです。当時その演劇部は私が顧問を務めていたんですけど、演劇部に入っていない2人が舞台の稽古事をしているのを可笑しく感じたことがあります。私も感心するくらい上手でしたよ。私がしばらくの間2人のその芝居に引き込まれしまうくらいでしたよ」 香堂は身を乗り出した。 「どんな芝居だったか覚えてらっしゃいますか」 女教師は再び記憶を辿り始めたのであろうか、俯いた。しばらくの間そうしていたが、やがて口を開いた。 「確か弟のことを沈めたとか沈めないとか。明日香さんが美咲さんのことを違う名前で呼んでいたから芝居なんだと思いましたが…」香堂は一瞬だったがほんの少し首を後ろに仰け反らせた。やはり明日香は少なくても美咲の多重人格の一人を知っていたのだ。皮肉なもので多重人格者とまともに話す相手が存在したことが原因で美咲の病気が発覚することが無かったのだ。双子の弟の一隆が死んだことを知らないこの女教師は今も尚双子の話を芝居の稽古だったのだと思い込んでしまっているのだ。明日香が美咲の病気を知っていてそれを美咲に伝えていたとしたら美咲は自分とは他の人格が自分の心の中に存在することを知ったはずだ。小林医師が言っていた人格同士の交流の橋渡しを明日香がやっていた可能性が高い。香堂は双子を哀れに思った。もし2人が双子でなかったとしたらこんなことにはならなかったのかもしれない。双子を憐れに思った。もう市居家の人間は一人しか残されていないのだ。香堂は二人の教師を前にして躊躇いもなく深いため息をひとつつき、これ以上話すことが何も無いことを悟ると立ち上がった。 「ありがとうございます。先生方のお話し凄く役に立ちました。お忙しいでしょうからこれで失礼します」 香堂は深々とお辞儀をした。そして2人の教師をそこに残して応接室をあとにした。 廊下に出ると顔の素肌が針で刺されるような感じがした。香堂は校舎の階段をゆっくりと下りながら、双子がこの学校の何処かで芝居ではない本当の言い合いをしてる風景を想像していた。美咲の人格と入れ替わった弘美の人格が弟一隆を殺してしまったことを明日香が責めているイメージだった。もしかすると明日香は弘美の人格が美咲に入れ替わっている時にだけ、美咲ではなく弘美のことを責めているのではないのだろうか。以前明日香と二人で美咲のアパートを訪れた時に見せた不安な顔は、弘美が美咲に入れ替わってしまうのを恐れていたせいかも知れない。明日香は美咲が多重人格だということを承知して姉妹として付き合い続けていたのだろう。香堂の眉間に無意識に深い皺ができた。楽しかった頃の明日香の面影が頭に浮かんだ。やはり病室のベッドで座っているのは明日香なのだと何度も自分に言い聞かせた。そう思うとどうにかして病気を治してあげたいという心が以前よりももっと大きくなって胸の中を満たしていった。雪が再び視界を妨げ始まっていた。 アパートの炬燵の上に魂の宿りきらないジグソーパズルがひっそりと佇んでいた。香堂は簡単に食事を済ますと、温まってきた炬燵に足を滑り込ませパズルの欠片をひとつ摘んだ。そのパズルを一度きりでも明日香が触れたと思うと悲しさが胸にこみ上げてきた。病室で元気に夕食を食べている明日香の顔を意識的に想像して胸の圧迫感を取り除こうとした。するとその圧迫感がゆっくりと引いていくのを感じた。病室のベッドに座る患者が明日香なのだと思い込みたい心が香堂の胸の圧迫感を押し退けようとしていた。再び欠片の絵柄に視線を落とすと香堂の神経は徐々にそれに集中していった。 香堂は真夜中までパズルを組み合わせ続けていた。ふと時計に眼をやると真夜中の12時を過ぎてしまっていた。時折アパートの前の道を自動車が通り過ぎていった。その音が雪にぶつかり吸収されいつもとは違う鈍い音が香堂の耳に届いてきた。香堂はふと立ち上がり窓のカーテンをほんの少しだけ手繰り寄せてみた。夥しい数の汗が額にへばり付くように部屋の中の湿気が窓ガラスに結露して視界を妨げていた。香堂はそれをカーテンで拭い去るとそこから外を眺めてみた。雪はまだ降り続いていた。香堂の眼には膝の辺りにまで積もっているように見えた。香堂は振り返るとテーブルの上の中途半端なパズルの絵柄に視線を落とした。自らの心の空白を未だ塞がらないパズルの絵柄の大きな穴が代弁しているかのように思えた。完成間近のそのパズルと同じように香堂の心も行き着くべき場所に近付いているように感じられた。 香堂の目の前に嘲笑を浮かべた物言わぬ明日香の顔があった。香堂は既に一切の返事を期待してはいなかった。この病室に一歩入ると会話という言葉の意味が幻のように薄っすらとしか理解できなくなる感覚に陥った。こちらから一方的に話していればそのうちに明日香が何らかの反応を示すだろうと思っていた。 「明日香…、お前達の通っていた小学校と中学校に行ってきたよ。お前を治療するための何かが分かるんじゃないかと思ったんだ。明日香…、お前美咲のことが好きだったんだろ。俺、お前達の担任の先生から聞いてそれが何となく分かったよ。お前は美咲が病気だってこと知ってたんだろ。いろんな人間が美咲の心の中にいるってことを自分の心だけに隠してたんじゃないのか。そうなんだろ。そんなに深く考えるなよ」 明日香はやはり答えようとはしなかった。香堂は自分の知り得たことを口にしてみたくなった。危険だとは思ったがその衝動を抑えることはできなかった。 「明日香…、お前美咲じゃなくて弘美が出てきた時に弘美がお前のお父さんと弟を殺したことを責めたんだろ。俺は…、」 そこまで言ったところで明日香の未だ傷跡の消えない首がゆっくりと香堂の方に向かって捻り始めた。その頭は香堂のそれと向かい合ったところでぴたりと止まった。顔には深く抉られたような皺を寄せる眉間と香堂を睨む鋭い両の眼が殺気を伴ってへばり付いていた。 「何…、なんで知ってる」 香堂は一瞬息を呑んだ。それ以上話すことができなくなってしまった。ゆっくりとその視線から身体をずらしていった。明日香の頭は動きはしなかったが、その殺気を伴った眼がいつまでも香堂の顔を睨み続け離れることはなかった。香堂は明日香の視界から自分の身体が完全に出たことを察知すると足早に病室を出て行った。 廊下を出るのと同時に白衣の看護婦がタイミングよく目の前を歩いていた。香堂はその白い物体が何なのか分からず再び息を呑んだ。それが看護婦なのだと分かるまでに数秒かかった。看護婦は香堂の顔に視線を向けた。 「あら香堂さん、どうしたんですかそんな青い顔して」 香堂は最初何を言われているのか分からず言葉を詰まらせていた。答えない香堂を見て看護婦が話を続けた。 「どうでした明日香さん。喜んでましたか」 香堂は再び何と答えていいのか分からず仕方なく小さく頷いて見せた。看護婦は香堂のその仕草を確認すると安心したのか、再び自分の目的の部屋の方に向かって歩いていってしまった。 香堂の耳には明日香の言葉が響き続けていた。確かに香堂は弘美という美咲の人格の1人が父親と弟を殺したということを美咲の過去から来た手紙と教師の口から知り得ることができた。しかしそれが真実だという確信こそ持ってはいなかった。それが今確信となって香堂の頭の中で縺れ合い硬い塊となりつつあった。その病室の中にいる嘲笑を顔に浮かべる患者がそれを教えてくれたのだ。その患者が明日香なのか美咲なのかは分からない。しかし美咲が父親と弟に手を下したことはこれで明らかになった。香堂は双子の担任の話と美咲の過去からの手紙、いや、博隆の弘美に宛てた手紙の内容を思い出した。美咲他の2人の人格の明日香に対する愛情はこれっぽちも感じなかった。博隆は弘美に明日香を沈めてしまえと言っていた。あの浴槽の水に浸かって自殺したのはどっちなのだろう。そうするとやはり美咲が明日香を殺してそれに成り済ましているのではないのだろうか。明日香を疑う気持ちが再び香堂の胸の中に渦巻き始めていた。香堂は廊下に置かれた長椅子に崩れるように腰を下ろすと頭を項垂れた。 「これじゃ、切りが無いじゃないか」 香堂の心は疲れ果てていた。暖房の効いていない廊下の床からその冷たさが足に伝わってきた。 第六章 ー 友 ー へ https://ofuse.me/e/16573
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