


滑走路と誘導路、エプロンのプロジェクトメッシュを作りました。いつも「目が~目が~」と呻いている奴です。今回も目がショボショボしています。鹿屋航空基地は、MSFSの地表の歪みが直っていなくて、滑走路も誘導路もクネクネしています。そこに、このプロジェクトメッシュを貼り付けるのですが、他の空港のようにそのままでは使えそうになく、滑走路や誘導路だけでなく、芝生も張り直さなければならないかもしれません。うまくはまらなければ、分割して貼る必要も考えられます。シーナリー作りのマラソンのゴールは遠いなあ~(ため息) 鹿屋航空基地の資料館には、二式大艇とゼロ戦の実機が展示してあります。ここにしかない二式大艇の実機も見応えがありますが、ゼロ戦も操縦席の内部まで復元してあり、エンジンや機銃もピカピカに整備されて展示されています。自衛隊コーナーには、対潜哨戒機「P-2J」の操縦席が展示してあり、座って操縦輪を動かすこともできます。 涙もろい私には少し苦手だった知覧の特攻記念館(特攻隊員の遺品の展示が主です)に比べて、大戦中から戦後の海自の航空機が数多く展示されていて、航空ファンにはたまらない場所です(特攻隊員の手記の展示もありますので、涙もろい方はハンカチの持参必須です)。 友人の祖父にゼロ戦のパイロットだった方(といっても、訓練期間中に終戦になって、ゼロ戦には何回かしか乗れなかったそうですが・・・・)がいて、中学生の頃、遊びに行った時に飛行訓練の話を聞いたことがあります。「もう少し、終戦が先に伸びていたら間違いなく特攻作戦に参加していただろう」と言っていました。飛行訓練といっても、終戦間際には飛べる機体が少なくすぎて、木製の操縦席の模型で操縦訓練(?)を行っていたそうです。禄に飛行経験もなく飛べるようになったばかりのパイロットに特攻をさせていたのだから、この戦争に「勝てるはずがない」というのは、訓練開始当初から感じていたと言います。「禄な訓練も受けれないままに、死ぬこと前提の特攻作成の参加する時の覚悟」、想像するだけで身震いしてしまいます。私が特攻隊員の手記等に、涙もろくなってしまうのは、この方の話を聞いていたからかもしれません。 ウクライナ戦争で、ロシア軍が突破できる見込みもない作戦で、若者に突撃をさせているというニュースに、第二次大戦末期の日本軍の状況を重ねてしまいます。人を消耗品扱いしている国家に成功した将来があるはずはありません。プーチンに率いられたロシアは、沈没していくしかないのだと思います。はやく戦争が終わって欲しいと心から願っています。 今日は、目を休ませたいのでモデリングはお休みさせてください。
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