

【あらすじ】 いいか? この話はネタだと思ってもらって一向に構わない。ただ、お前たちに話しておきたいと思うオレの自己満足でしかない。 春子・ラファト・ハディド。 オレは一瞬で心を持ってかれた。 春子はいつも一人勉強をしていた。 「最低! 暴力で何でも解決できると思わないで!」 オレは春子と一緒だった。 オレは、何としてでも春子の助けになりたかった。 だが、これっぽっちもわかっちゃいなかったんだ。 吸い込まれるような青い空に、薄い煙が霧のように漂う。 ※重大なネタバレを含みます。本感想は、作品読了後に読むことを強く推奨します。 明日の黒板/えーきち https://kakuyomu.jp/works/1177354054887258701 ★総評 総合点:85/100 方角:真北 構成や演出の必然性が強力で、それゆえに表現したいことが真っ直ぐ届く作品。語りをそのまま収録する構成や死の事実の伝え方など、効果と必然性の両面を満たしているため攻防一体の仕上がりになっていると思います。それだけに必然性の甘いところが悪目立ちしてしまう面があり、他にも作品的に面白さを伸ばせる箇所もあるので、ポイントポイントで品質を向上させることは可能だと考えます。全体的に見れば、隙のない良作。 ●特殊な構成を強力に支える必然性、意味づけ的どんでん返し 本作は卒業する高校の生徒達に、夏男が春子の話をするところから始まります。夏男の台詞をそのまま地の文にしたやや特殊な形式で綴られます。 クルド人と日本人のハーフである春子との出会い、春子と両想いになる経緯、夏男の告白を春子が断った出来事と理由、そして黒板での二人のやりとり。夏男が高校生のころの話が語られます。 夏男はどうしてこの話を、卒業する生徒達に話して聞かせたのでしょうか。それは夏男自身が語っています。 ――――――――――――――――――― いいか? お前たちはこの先、何十年も社会の中を生きていく。 理不尽なことだってあるかもしれない。カッとなることもあるかもしれない。 だがな、暴力なんかじゃ解決できないからな? 殴り、殴られ、堂々巡り、そして行き着く先が戦争だ。どこまでもくだらねぇ戦争だ。 お前たちは我慢できる。オレの教え子だからな。 拳を握るな。手を開け。誰かがその手を必要としている。 お前らが困った時は、誰かが手を差しのべてくれる。 ――――――――――――――――――― 夏男は春子の話を通して、暴力の凄惨さを説いたのです。暴力に躊躇のなかった自分を変えてくれた春子、その春子は戦争により人生を狂わされます。暴力の行き着く先が戦争で、戦争は皆を不幸にする。だから社会のなかで理不尽なことがあろうとも暴力で解決してはならない。 これから社会へと羽ばたいていく生徒達に向ける言葉として、とても説得力のある話だったと思います。 夏男が卒業の日に何故この話をしたのか。十分な理由が与えられていると思います。 しかし面白いのは、それはおそらく表の理由なのだろうということです。卒業する生徒達に大事なことを教えるというのも嘘ではありませんが、夏男がこの日この話をしたことにはそれ以外の理由があったのだろうとフィンディルは想像しています。 生徒達に夏男が話をするのは「中編」で終わります。当初この形式で最後まで進むのかと思いましたが、その構成予想は裏切られます。 しかも本作はゆあんさんの筆致企画参加作品ですが、企画の指定プロットは「中編」の時点で全て消化されます。物語の予想も裏切られるのです。 卒業する生徒に話をする作品だと思ったのに「中編」で終わってしまった。指定プロットが「中編」で消化されてしまった。でもまだ「後編」が残っている。数文だけのエピローグというわけではなさそうだ。 初読時フィンディルはこのように感じました。同じように感じた読者もとても多いと思います。もしかしたら「後編」は蛇足なのではないかと思った方もいるかもしれません。 「中編」までを読んだ時点で、フィンディルは次のように思いました。 何故夏男が卒業の日に生徒達にこの話をしたのか、その理由は「中編」の最後で説明された。暴力をしてはならないと説くためである。 では何故春子の話をリアルタイムに綴っていくのではなく、〇年後に生徒達に語るという形式で綴っていくのか。何も〇年後に生徒達に綴るという形式をとらずとも、普通に夏男が高校生の時系列で語っていけばいいだけですから。それでも暴力をしてはならないという作品的なメッセージは十分に表現できます。わざわざ〇年後に生徒達に語るという形式をとった作品的な必然性を、この時点では感じられなかったのです。 「後編」においてそれが表現されていました。 ――――――――――――――――――― 「オレは世界中の黒板に、でっかく『Love & Peace』と書きに行く!」 ――――――――――――――――――― 夏男は本年度を最後に教職を辞し、世界平和に貢献するため春子の故郷の国へと行くことに決めていたのです。春子により関心を持ち、春子の命を奪った戦争を世界からなくすためにです。 これはフィンディルの解釈ですが、夏男が生徒達に春子の話をしたのは夏男なりの決意表明だったのではないかと思います。生徒達には暴力をしてはならないと説き、同時に自分自身の世界平和に貢献するという決意を(そうとは伝えずに)他者に示したのではないかと。 そのように考えると ――――――――――――――――――― いいか? この話はネタだと思ってもらって一向に構わない。ただ、お前たちに話しておきたいと思うオレの自己満足でしかない。 ――――――――――――――――――― の意味が変わります。教師的な自己満足ではなく、決意表明としての自己満足なのであったのだと解釈できます。むしろ「自己満足」の解釈として教師的な自己満足だと押しつけに感じられますが、決意表明としての自己満足には爽快さを感じます。 夏男が卒業の日に春子の話を生徒達にしたのは社会に羽ばたく生徒達に教えを、世界平和のために赴く自身の決意を示す意図があったのではないかとフィンディルは解釈しました。 そしてこれが、本作が春子の話をリアルタイムに綴るのではなくわざわざ〇年後に生徒達に語るという形式をとった作品的な必然性として、非常に強力な回答となっています。 「前編」「中編」はまるごと、夏男の決意の表現だったのです。夏男の、自分はこれから世界平和のために紛争地域へ赴くという強い決意を、そうとは明言せずにしかし雄弁に表現しているのです。 「前編」「中編」は春子の話をリアルタイムに綴って「後編」で時系列を飛ばしても同様の表現はできなくもありませんが、「前編」「中編」を夏男のある種演説として綴ることで、夏男の決意の表現はずっとずっと強力になります。 春子の話をリアルタイムに綴るのではなく〇年後に生徒達に語るという形式をとっているのはとても大事だ、むしろこの形式じゃないと駄目だ。そういう思わせるだけの必然性を作品に与えられると、作品的構成は非常に強固になります。やや特殊な構成を扱うときには非常に重要だと思います。 それがしっかりできている本作のこの表現、素晴らしいと思います。 またこれは一種のダブルミーニング、一種のどんでん返しになっているなとフィンディルは考えました。 卒業する生徒達に担任教師が最後の教えを与える。それは暴力をしてはならないという教え。「中編」までは、「前編」「中編」にはそのような意味が与えられていました。 しかし「後編」において夏男の意志が明かされると、「前編」「中編」の意味が一変します。「前編」「中編」は教師として生徒達に教えを与えるという意味の他に、夏男個人の強い決意の意味があったのです。夏男の意志を知ったうえで「前編」「中編」を見るとその意味が変わって見えます。 ――――――――――――――――――― そこでオレは、春子の生い立ちを聞いた。言い渋って、なかなか教えてくれなかったのを、よく覚えている。 聞いた当時、オレはよくわからなかった。まっ、お前らに言っても、当時のオレのようにきっとわからねぇだろうがな。 ――――――――――――――――――― たとえばこの件などは、初読時には教師的で大人的な決めつけであるように感じられます。「子供であるお前らにはわからないだろうが、人生経験を積んだ俺にはわかる」というような印象を持ちます。 しかし夏男の決意を知るとここはそうではなく「これから春子の国へと赴くにあたって勉強をして知識と実情を知ったからこそわかる日本の平和と無知」という印象に変わります。夏男の「お前らにはわからない」は「若者だからわからない」ではなく「平和な日本に暮らしているからわからない」なのだろうと解釈しました。そしてそこに、これから世界平和に貢献するために春子の国に赴く夏男の決意が出ているように思います。 卒業生への担任の最後の話という形式の後で夏男個人の決意を示すことで、夏男の語りを地の文にするという構成の必然性が与えられ、「前編」「中編」の意味づけが一変するという大仕掛けにもなっていると判断しました。素晴らしい仕掛けだと思います。素晴らしいです。 ●死の確定の驚きを効果的に伝える構成、それを支える必然性 「後編」において、夏男の決意が語られました。「前編」「中編」は卒業する生徒に贈る担任最後の話だけではなく、世界平和のために動きだす夏男が人知れず行った決意表明でもありました。そのようにフィンディルは解釈しました。 しかし「後編」で明かされる事実はそれだけではありませんでした。春子は亡くなっていたのです。 「前編」「中編」で春子の話は終わったように感じられます。指定プロットが「中編」で消化されたというのが大きいですが、そうでなくても寂しさと爽やかさを持たせて春子の話は終わりますので、その後は読者の想像に任せるようなかたちになっています。 春子は危険と隣りあわせでありながらなんとか元気でやっているのだろうか。夏男のことを思いだしたりしているのだろうか。春子は春子の人生を歩んでいるのだろう。もちろん紛争地域ですから春子の死を想像する読者も少なくはないでしょうが、春子のその後は読者の想像に任されたと考えた読者は少なくなかったでしょう。 だからこそ「後編」にて春子の死が告げられたことに大きな驚きがあります。もし「中編」にて春子の死まで語られていた場合、これほどの驚きはなかったでしょう。「中編」にて春子の話は終わったように感じられたからこそ、春子の生存は読者の想像に任されたと感じられたからこそ、その後の春子の死の確定が強い驚きとなって読者に響くのです。 この作品的な見せ方は非常に効果的であると思います。春子のその後を想像に任せたふりをして作中で確定をする。上手いと思います。一見冷徹であるようにも思いますが、本作の趣旨に非常に合致しており、その点でも上手いと思います。素晴らしいと思います。 そしてさらに素晴らしいのが、このような見せ方の必然性がやはり強力であるということです。春子の死を「前編」「中編」で明らかにはせず、一度話を終わらせたあとで「後編」で明らかにする。このような効果的な見せ方をした物語的な必然性が強力であるのが素晴らしい。 というのも夏男の立場に立てば、このように明かすのはごくごく自然だからです。 暴力をしてはならないことを教えるための話で、春子の死はショッキングすぎるでしょう。暴力をしてはならないという教えは吹き飛んでしまいます。またそうでなくても涙を流している生徒達には刺激が強すぎる事実です。話のために不可欠というわけではないのだから、伏せておくのは自然な判断です。 何より、〇年が経とうとも春子の死を告げるのは夏男にとって大きな苦痛でしょう。「後編」において春子の死を告げるときの夏男の様子を見れば、春子の死を改めて口にすることがどれほど苦痛であるかが想像できます。 しかし春子の死が、夏男の決意の源泉であることも想像には難くありません。仮に春子が生きていても、春子の力になりたくて春子の国に向かうと夏男は考えたかもしれません。しかし春子が願っても果たせなかった夢と決意を夏男が代わりに果たそうと決意するほうが、より強くより純粋であるように思えます。少なくとも春子が死んでいる事実のなかで、夏男は春子が死んでしまったからこそ世界平和への決意をより強く胸に持って、春子の故郷の国へと旅立とうとしているのだろうと思います。夏男が決意を固めるにあたって、春子の死という事実は必要不可欠なのだろうと思います。 「後編」では教師して生徒に話す夏男よりも、一人の個人として決意を話す夏男の文脈になっています。その文脈で、 ――――――――――――――――――― 「何、何~? ナッちゃん、春子さんに会いに行くの? イヤだ~、ラブラブじゃん。そのまま結婚とか……」 ――――――――――――――――――― という言葉をかけられれば、春子の死を黙っていることはできなかったでしょう。話したくはないですが秘密でもありません。話したくはないですが夏男の決意の源泉です。 ――――――――――――――――――― オレは革の上着のポケットから煙草を取り出し、茶色く細いそれを無造作にくわえる。そして、安っぽい緑色のライターで火をつけた。 ジジッと微かな音を立てて、タバコの先に火が灯る。 ――――――――――――――――――― この間はそのような苦痛と決意の両者を噛み締めたのだろうと解釈します。 と、「前編」「中編」では春子の死を話さずに話を終えて「後編」で(本意ではなく)春子の死を明かしたという見せ方にやはり強力な必然性があるとフィンディルは感じました。夏男の立場を考えると、このようにならざるをえないだろうと思います。 読者への驚きの与え方として非常に効果的な構成を組んでいるのに、その構成を組んだ必然性が強力ですごく自然である。読者を驚かせたくて無理にこういう構成を組んでいるのではないというのが非常に巧みだと思います。攻防一体といったイメージでしょうか。 前の項目もそうですけど、こういうような構成や演出になるのが当然だ、むしろならざるをえないという必然性があると、作品は非常に強固になります。「作者がこうしたくてこうしてるんでしょ」みたいないやらしさが一切なくなるのです。そして読者は構成や演出を非常に自然に受けいれることができる。 必然性が強い構成や演出で、非常に効果的に読者を驚かせる。前の項目ならやや特殊な構成を成立できますし、意味づけのどんでん返しまで成立させています。 これはめちゃくちゃ上手いと思います。素晴らしい! と思います。非常に完成度の高い構成だと思います。 えーきちさんがどっちを先に考えたのかがわからないのが良い証拠だと思います。「前編」「中編」で主人公の語りで話をして「後編」で驚きや意味づけ的どんでん返しを入れるという作品的発想から考えたのか、春子との出来事があってその後春子が死んで夏男が決意をもって生徒達に決意表明をするという物語的発想から考えたのか。作品的構成から考えたのか、物語から考えたのか。どちらから考えたのかというのは重要ではなく、どちらから考えたのかがわからないというのが重要だと思います。どちらから考えたのかわからないというのは、作品的構成演出と物語が非常に密接に繋がっているということです。それは作品の出来が良いということになると思います。 効果の高い構成や演出に強力な必然性がある。攻防一体の構成、攻防一体の見せ方、素晴らしいと思います。隙がない作品と言えるのではないでしょうか。 全体の構成だけで述べるならば本作は、フィン感に応募されたえーきちさんの作品のなかでダントツだと思います。それぐらいしっかりした構成だと思います。素晴らしい。 ●「前編」から「中編」への雰囲気変化とは別に、「前編」「中編」から「後編」への雰囲気変化を 「前編」「中編」は夏男の台詞なのですが、気になる文章がありました。 ――――――――――――――――――― 空を二分するように走る飛行機雲が、オレの視界の先へ、緩やかな弧を描いて遠のいていった。 ――――――――――――――――――― 抒情的で良い一文だと思いますが、これを教師が生徒達に実際に語っていると想像すると浮いているように感じられます。この文章が一人称視点の地の文ならば三人称的な情景描写ということで片づくのですが、これが夏男の台詞と考えると若干の異様さを覚えます。夏男の話に生徒全員が感動しているわけではないでしょうから、なかには「何言ってんのww」と思った生徒もいたかもしれません。それを想像すると若干の共感性羞恥を覚えてしまいます。 ただ初読時ではそんなに気になりませんでした。春子の話の最後ですし、その空気感に浸れていましたし、ちょっと気になったとしても「まあまあいいじゃないか」で済ませることができたと思います。 気になったのは「後編」に移ったときです。 「前編」「中編」は夏男の台詞、「後編」は夏男の一人称視点ということで文章の形式が変わります。この両形式で目に見えて変わるのは情景描写の有無だと思います。台詞と一人称視点では、やはり一人称視点のほうが情景描写は許容されます。 そして実際、 ――――――――――――――――――― オレは校舎裏で壁に寄りかかり、空を見上げ、タバコの煙を吐き出した。 吸い込まれるような青い空に、薄い煙が霧のように漂う。 そこを、あの日あの時、教室の窓から見たような飛行機雲が、横一文字に走っていた。 ――――――――――――――――――― 「後編」の最初は情景描写から始まっています。解禁された情景描写を入れて、文章形式の変更を鮮烈に示しています。 しかしフィンディルはこれが全く鮮烈に感じられなかったのです。 何故ならば「そこを、あの日あの時、教室の窓から見たような飛行機雲が、横一文字に走っていた。」よりも「空を二分するように走る飛行機雲が、オレの視界の先へ、緩やかな弧を描いて遠のいていった。」のほうが情景描写として抒情的だからです。「空を二分するように走る飛行機雲が、オレの視界の先へ、緩やかな弧を描いて遠のいていった。」は本作のなかで一番美しい情景描写なのではないかと思うほどです。 そんな美しい情景描写が「中編」で入っているので、「後編」で情景描写が展開されてもそこに文章形式変更の面白さを感じなかったのです。雰囲気が変わっている感じがしなかったのです。 そして文章の雰囲気あんまり変わってないなと感じると、「空を二分するように走る飛行機雲が、オレの視界の先へ、緩やかな弧を描いて遠のいていった。」という「中編」の文章にすごく違和感を覚えるようになりました。どうして夏男の台詞が、一人称視点のどの情景描写よりも美しいのだろうか。 夏男が詩的な言い回しをするタイプならば問題ないんですけど、どちらかというと真逆の性格だと思うのです。それまでの発言を見てもとても砕けた物言いをするタイプです。美しい情景描写は一人称視点の情景描写だからある程度許容されるもので、本来夏男の性格を考えれば美しい情景描写は似合わないはずです。そんな本作で一番美しい情景描写が、一人称視点ではなく夏男の語りで繰りだされている。ここに強烈な違和感を覚えました。 そしてそれとは別に、「中編」と「後編」で文章形式の変更に鮮烈さがないこと自体も気にかかります。 前項目でも触れましたが「前編」「中編」と「後編」では春子の話と夏男のあり方が変わります。 「前編」「中編」では教師夏男が卒業する生徒達に暴力をしてはならないと教える場面に思えましたが、「後編」において個人夏男の決意表明の場面でもあったと、春子の話のあり方が変わります。それと同時に、「前編」「中編」の夏男のあり方は教師でしたが、「後編」の夏男のあり方は世界平和を志す個人です。 さらに春子のその後を想像させて終わった「前編」「中編」と春子の死が確定させられる「後編」では、本作の趣旨である戦争や現実の重みが一段階変わります。 そういった表現や空気感がガラリと変わるのが「前編」「中編」と「後編」だとフィンディルは考えます。 そしてその表現や空気感の変更を作品的に効果的に伝えられるのが、語りと一人称視点という文章形式の変更だろうと思います。ここの変更をしっかりときかせることで、何かがあるのだと読者を期待させることができますし、種々の表現をより際立たせることができるのではないかと思います。「前編」「中編」と「後編」では表現されているものがガラッと変わる、文章形式もガラッと変わる、でも文章的雰囲気はほとんど変わっていない。ここに物足りなさを覚えます。 何も「前編」「中編」と「後編」で必要以上に空気感を変える必要はありませんが、語りと一人称視点の文章形式の変更で自然にもたらされる文章雰囲気の変化をつけるのが本作の表現的に無難なのではないかと考えます。 これは推測ですが、えーきちさんも文章形式の変更でメリハリをつけようと狙っておられていたのではないかと思います。 しかしその文章形式の変更が、ほとんどきいていないというのがフィンディルの印象です。文章形式を変更すれば勝手に雰囲気が変わるということはなく、文章形式の変更を利用して雰囲気を変えることで雰囲気は変わるのです。文章形式の変更がほとんどきいていないと思う理由は上述です。 これはフィンディルの推測ですが、おそらくえーきちさんは「前編」「中編」のなかでの雰囲気変化に注力されているのではないかと思います。 ――――――――――――――――――― あー、うるさいうるさい。まぁ、聞け。 ――――――――――――――――――― だー!! 話を続けられねぇだろうが! はぁ? やっちゃったかって? セクハラ親父か、お前は? 静かにしろ! しーずーかーにー! 教師権限で、卒業取り消すぞ! ――――――――――――――――――― 最初は夏男の話を茶化していた生徒達ですが、話が進むにつれて静かになっていきます。 ――――――――――――――――――― 何だ? 静かだな? ちゃかしてもいいんだぞ? ――――――――――――――――――― こういうような文章が挿まれることで、教室の雰囲気の変化を表現しています。良い表現だと思います。 生徒達の反応だけでなく、夏男の語りにも変化が訪れます。生徒達への話という前提でこまめに生徒達に問いかけていた夏男ですが、話が進むにつれて自分に語りかけるような、独り言のような語りに変わっていきます。生徒達はもとより、夏男自身も春子の話に入っていったということなのでしょう。 教室の空気が春子の話に浸っていく様子が表現されています。これ自体は良いと思います。「空を二分するように走る飛行機雲が、オレの視界の先へ、緩やかな弧を描いて遠のいていった。」というような美しい情景描写を零してしまったのも、話に入っていたからだと思います。 そういうえーきちさんの表現技術だと思います。 しかしこの表現技術が「前編」「中編」と「後編」のメリハリにマイナスに働いてしまっているように思います。「前編」「中編」の変化の最終段階である「中編」の終盤と、「後編」で空気感の変化が乏しい。「前編」「中編」の変化にメリハリをつけてしまったがために、「後編」への変化にメリハリがつかなくなってしまった印象です。 おそらくえーきちさんは「前編」をスタート「中編」をゴールにした雰囲気変化に注力されたと思うのですが、フィンディルとしては「後編」をゴールにした雰囲気変化を考えたほうが良かったのではないかと思います。教室内の雰囲気変化としては「中編」がゴール、それとは別に作品内の雰囲気変化として「後編」をゴールにするという発想です。雰囲気変化の技術の入れ子のような感覚で、「前編」スタート「中編」ゴールの雰囲気変化の外に「前編」「中編」スタート「後編」ゴールの雰囲気変化が存在しているような感じですね。こういう発想があることで、「前編」と「中編」の雰囲気変化とは別に「中編」と「後編」の雰囲気変化も描けるのではないかと思います。もちろん春子の話は「中編」がゴールですので「中編」はゴールでもあり「後編」への中継点でもあるという考え方です。 そう考えると「中編」と「後編」は文章形式の変更を自然に表現すればいいという単純な話でもなくなってきます。「中編」を夏男の台詞とだけ捉えると「前編」と「中編」のメリハリが上手く出なくなりますからね。「前編」と「中編」にメリハリをつける、それとは別に「中編」と「後編」のメリハリをつける。どちらにもメリハリをつけるには特に「中編」や「後編」はどういう空気感を置けばいいのか。もちろんあからさまでないかたちで。ある程度の技術や調整が要求されますが、本作の表現を考えれば必要な作業なのかなと思います。 本作は「前編」と「中編」の雰囲気変化は上手く表現されていますが、その結果「中編」に最も美しい一文が入るなどで「中編」と「後編」の雰囲気変化が上手く表現できていないように思います。「前編」「中編」と「後編」とでは様々なあり方が変わっていますので、ここの雰囲気変化をつけることは作品的に重要だと考えます。 「前編」スタート「中編」ゴールの雰囲気変化はもちろん、それとは別に「前編」「中編」スタート「後編」ゴールの雰囲気変化も設計すれば、それぞれのメリハリが自然について「後編」の内容を作品的にアシストできるのではないかと考えます。 ●春子の無念、夏男の決意、冬弥と秋の認識。何故隆司と優子ではなく冬弥と秋なのか 前の項目でも取りあげました春子の死。読者の大きな驚きを与える事実と見せ方が特徴的でした。 ですがそれとは別に、春子の死には本作の強い表現がこめられているとフィンディルは思います。 ――――――――――――――――――― 「デカい鷲の国の、民間機誤爆さ。春子は帰れなかったんだよ」 ――――――――――――――――――― 春子は戦争で死にました。戦争の凄惨さと現実の厳しさが伝わります。しかしそれよりも重要なのはその最期の迎え方です。 祖国に帰るにあたって、春子は死を覚悟していたでしょう。銃声と爆発音が日常にある国へと帰るのです。いずれ戦火に巻きこまれて自分は死ぬだろう。春子はそう予想していたはずです。それでも祖国に帰るのは、日本で勉強したことを活かして祖国の仲間達を少しでも助けるためです。春子は自分が祖国へと帰ることで、現状をほんの少しでも良くしようと考えていました。そのなかで自分が死んでしまうのは覚悟のうえだったでしょう。 ですがまさか帰れさえしないとは! 春子は祖国へ帰る機上で亡くなりました。祖国へ帰ることすらできず、仲間達と再び会うこともできず、日本で必死に勉強してきたことを何一つ伝えも活かしもできないとは。さすがの春子もそこまでは予想していなかっただろうとフィンディルは想像します。戦争の凄惨さと現実の厳しさは、それらをきつく覚悟していたはずの春子を嘲笑うように、さらなる苛烈さをもって春子の人生を終わらせたのです。 春子の死それ自体にも、本作の強い表現がこめられています。しかしそれ以上に春子が自分の望んだことを何一つできなかったことに、本作の強い表現がこめられているとフィンディルは解釈しました。 そして夏男もそれを理解しているのでしょう。当初は春子の死自体にショックを受けたでしょう。しかし死を理解した後で夏男を襲ったのは、春子が知識と想いを仲間達に届ける前に命を奪った戦争と現実への怒りだったろうと思います。「春子は帰れなかったんだよ」という夏男の言葉にそれが表現されているように思います。死は覚悟のうえだったろう、しかし帰れなかったのはこれ以上ない無念だったろう。そんな春子の無念を夏男は時間をかけて理解したのだろうとフィンディルは思います。そして時間をかけて決断と決意を強めていったのだろうと思います。 「春子の死が、夏男の決意の源泉であることも想像には難くありません」とフィンディルはさきほど述べましたが、やや語弊があります。春子が覚悟をもって届けようとしたが何一つ届けられなかった知識や想いが、夏男の決意の源泉なのだろうと想像します。 そのように解釈すると、春子の死の意味や夏男の決意の意味に一層の重さを感じられます。 そしてそんな春子と夏男の意味深さと対照的なのが、冬弥と秋の発言です。 ――――――――――――――――――― 「何、何~? ナッちゃん、春子さんに会いに行くの? イヤだ~、ラブラブじゃん。そのまま結婚とか……」 ――――――――――――――――――― 春子が生きている前提で発言をした秋の認識の甘さ。銃声と爆発音が日常の国にあって何年も生きている前提で話す認識の甘さ。実際春子は帰ることすらできずに死んだというのに。 ――――――――――――――――――― 「じゃぁ、何で行くんだ? まだ戦争は終わってないんだろ? 惚れた女の後追いか? 馬鹿馬鹿しい。そんなことして……」 ――――――――――――――――――― 日本で必死に勉強したことを何一つ伝えられなかった春子に変わって、夏男が世界平和に貢献しにいくという決意を理解できていなかった冬弥。夏男は死にに行くのではなく生きに行くのでしょう。 冬弥と秋の発言は「前編」の ――――――――――――――――――― そこでオレは、春子の生い立ちを聞いた。言い渋って、なかなか教えてくれなかったのを、よく覚えている。 聞いた当時、オレはよくわからなかった。まっ、お前らに言っても、当時のオレのようにきっとわからねぇだろうがな。 ――――――――――――――――――― 夏男の発言を実証するようなかたちになっていると思います。これは若いからではなく、平和な日本で暮らしているからでしょう。平和な日本で暮らしているからこそ生きている前提で話したり、戦地に赴く=死にに行くという発想になるのだろうと思います。 そしてそれは高校生の夏男自身の ――――――――――――――――――― 青天の霹靂だった。そんな話は初めて聞いた。春子も日本の大学に進学するものだと信じて疑わなかった。 ――――――――――――――――――― オレは必死で止めた。「ヤメろ! 帰る必要なんてない! 日本で平和に暮らせばいい」ってな。 ――――――――――――――――――― という認識と重なります。特に冬弥の発言と重なりますね。だからこそ夏男は、「お前らに言っても、当時のオレのようにきっとわからねぇ」と発言したのでしょう。冬弥と秋の発言はまさに「きっとわからねぇ」どおりのものでした。 「後編」で夏男の決意が示されるのは冬弥と秋の誘導によるものでしたが、この誘導自体が日本に住む者の認識の強い表現になっていると思います。それは高校生の夏男と重なり、そして現在の夏男の決意を強く引きたてます。 「後編」で描かれているのは春子の無念と現実の厳しさ、日本に住む者の認識、そして夏男の強い決意。いずれも本作の核となる非常に重要な表現です。どれが欠けてもならぬ表現だと思います。素晴らしいと思います。 ここからは作品的なことを話したいと思います。 「後編」で特徴的なのが、冬弥と秋の出し方です。というのも冬弥と秋は生徒A生徒Bでも成立するのです。日本に住む者の認識の表現、夏男の決意へと誘導、あるいは高校生の夏男と重ねる。これらの役割を果たすのならば生徒A生徒Bでも成立します。 ですが生徒A生徒Bではなく冬弥・秋であるほうが、日本に住む者の認識の表現がより鮮やかに感じられるように思います。生徒A生徒Bとモブの出し方をした場合、表現には記号的な印象が出てきます。上述したような表現のために出てきたモブ達。登場人物ではなく、表現のために駆りだされたモブ達。そういうような印象が強くなります。 しかしこれが冬弥と秋という登場人物として出すと、その記号的な印象が薄まります。表現のために出てきたモブではなく、登場人物が有していた認識という表現。こちらのほうが種々の表現の品質が向上するように思います。表現先行ではなく人物先行だから、表現が自然になります。良いと思います。 また冬弥か秋いずれか一人だけだと個人の認識という印象になりますが、二人出すことで日本に住む者の認識という示し方ができていると思います。これも良いですね。 しかし翻すようですが冬弥と秋の登場が自然かというと、そういうわけではないと思っています。生徒A生徒Bとモブで出すよりも自然ですが、もっと自然にできると考えています。指摘です。 というのも「冬弥と秋ではなく隆司と優子でも問題なく成立する」という印象があるのです。 生徒A生徒Bではなく冬弥と秋のほうが表現の品質は上がります。しかしそれは品質の問題であって、実際の話冬弥と秋は生徒Aと生徒Bなのです。同じクラスの隆司と優子であっても何一つ問題なく「後編」は成立するのです。 どうして隆司でも優子でもなく冬弥と秋なのか。本感想で使っている言葉で言うならば必然性でしょうか。隆司でも優子でもなく冬弥と秋である必然性が欠けているように思います。 そのため生徒であれば誰でもよく、冬弥と秋は夏男の決意を引きだすために駆りだされた人物という印象が拭えません。冬弥・秋に与えられる役割が重要であるだけに、何故ここで冬弥と秋は現れたのか、何故冬弥と秋なのかという疑問を払っておくのが重要だと考えます。「冬弥と秋は夏男の決意を引きだすために登場してきたのだ、生徒A生徒Bではなく名有りだから鮮やかに表現できるのだ」という作品の都合を感じさせない程度の必然性が欲しくなります。 「後編」に冬弥と秋が登場する必然性が生まれると、「後編」で示される種々の表現をより自然に安定して示すことができると思います。夏男の決意を引きだすために冬弥と秋を出してきた、ではなく、登場人物である冬弥と秋が夏男の決意を引きだした、という印象になります。この差は大きいと思います。冬弥と秋を名有りのモブから脱却させることをオススメしたいと思います。 そしてこの向上を求めたくなる理由として、冬弥・秋という名前もあります。明らかに春子、夏男ときたから秋、冬弥と続けたのでしょう。 この命名はひとつ効果があって、春子・夏男から季節感を排除するという効果があります。春子と夏男の話ならば何か作品にも春と夏の表現が生まれるのではと感じさせてしまいますが、ここで秋と冬弥が入ることで作中で春夏秋冬が完成されて、その要求を鎮静化させることができます。本作は春と夏の話ではないと示すことができるのです。 しかし副作用となる効果もあります。それは冬弥と秋のキャラとしての格が上がってしまうことです。春子・夏男と並んで春夏秋冬を完成させる冬弥と秋には、春子・夏男と並ぶほどの重要性を感じさせてしまうのです。もし二人の名前が隆司と優子ならば春子・夏男と名前の相関はないので重要な感じはしないだろうと思います。しかし冬弥・秋となると春子・夏男との強い相関があるので、何か重要な役どころがあるのかと期待させてしまうのです。その実、生徒A生徒Bという名有りのモブの役割でしかないので、その差異が違和感を強めてしまうのではないかと思います。 これはネーミングを変えましょうというわけではなく、やはり冬弥と秋には生徒A生徒Bではなく冬弥と秋個人としてのキャラクターを付与させるのが望ましいのかなと思います。 もちろんそれで作品の蛇足になってしまっては本末転倒ですので、どのようにキャラを付与させるのかというのは慎重な調整を要します。ですがそれができると、本作はより強固な構成を示せるのだろうと期待します。 本当に細かいことでいいと思います。「あ、これは同じクラスの隆司と優子じゃなくて、冬弥と秋である必要があるな」と納得できる小さな何かがあればいいと思います。そして二人がこの場面で夏男の前に現れる自然な理由。そんな小さな必然性が冬弥と秋の存在を安定させ、「後編」の表現の向上に繋がると考えます。 前の項目で触れたとおり本作は必然性のしっかりとした構成を組んでいますから、それだけに必然性の甘いところが目立ってしまうのかなと思います。 品質の高い作品に求められる、一歩上の要求ということになると思います。 本指摘に「なるほど」と思っていただけましたら、冬弥・秋の出し方にひとつ工夫を加えてみることをオススメします。 ●プロットに書かされている、作りの甘い箇所 今回の筆致企画の指定プロットにはひとつ難しいところがあるなと思うのです。 ――――――――――――――――――― その夜、学校に忍び込んだ夏男は、自身の想いを黒板に書くことで、吹っ切れようとする。 翌日、忘れ物に気がついた夏男が再度、誰もいない教室に入ると、黒板にはあるメッセージが添えられていた。 ――――――――――――――――――― (ゆあんさんの筆致企画のプロットから引用しました) 夏男と春子は教室の黒板でやりとりをするのです。そして互いが黒板にメッセージを書いているとき、もう片方はその場にはいません。 夏男が書く(そのときもう春子はいない)、春子が書く(そのとき夏男はいない)、夏男が見る(そのとき春子はいない)というラリーを処理しなければなりません。 しかも指定プロットを見るかぎりではラリーをしようと打ちあわせてラリーをしているわけではないので、夏男が学校に忍びこむのも翌日また教室に戻るのにも、相応の動機づけが必要になります。 これをスムーズに処理するのはなかなか難しく、上手くしなければ物語的にもたついてしまいます。プロットを書いているのではなくプロットに書かされているという状態になってしまうでしょう。物語のリズムがとりにくい箇所というイメージでしょうか。 このラリーを巧みに処理できるかどうかが、ひとつ作者の技術が問われるところだろうと思います。フィンディルは「明日の黒板」を本作しか読んでいないので、皆さん色々な手でこの件を処理されていると思いますけどね! そういう視点で見た場合、本作のこの件はもたついている印象があります。上手く処理できていない印象です。 黒板にメッセージを書きこむために夜の学校に忍びこみ、春子のメッセージを確認するために翌日学校に行くというプロットを処理しているのが丸分かりになっているような印象です。これは筆致企画の指定プロットを把握済みかを問わず、感じる印象だと思います。 もちろんそれは物語の品質を損ねるものであり、作品への感情移入などを阻害するものであると判断します。本作はその他のストーリーが素晴らしいのでただ読んでるだけでは目立たないところではあるのですが、その他のストーリーが素晴らしいので悪目立ちしてしまうところでもあります。 そのように感じる理由は、黒板のメッセージに物語が集中しすぎているなどもあると思うのですが、一番は夏男が翌日学校に向かおうと思った動機だろうと推測します。 ――――――――――――――――――― オレの忘れ物――――春子との思い出。 このままだと、春子の思い出は、彼女の泣き顔になっちまう。 オレは学校に忍び込み、校内に散らばる春子との思い出を拾い集めた。 校庭、校舎裏、下駄箱前……総て、残らず、反芻するように。 そしてオレは、最後に教室へ入る。 ――――――――――――――――――― ここ、指定プロットの「忘れ物」が何であるのかという回答に執着してしまっている印象があります。「夏男が気がついた忘れ物とは何でしょうか」「それは春子との思い出でした」という作品的な回答にえーきちさんの視線が向いているように思います。それは指定プロットを知っている参加者の「面白い回答だ」は誘えるかもしれませんが、作品にとって大事なのは忘れ物が何であるかではないはずです。 大事なのはその忘れ物が、再び夏男が学校に赴く動機として十分であるかということです。春子との思い出を忘れていたのは、再び夏男が学校に赴く動機として十分なのでしょうか。 何も学校まで行かなくても夏男の脳内で振り返るだけでもできそうな気もします。春子の泣き顔ばかりが頭に出てくるが、それよりも春子の笑顔のほうを見てきたはずだ。それをよく思いだすんだ。という行動でも代用できそうです。 あるいは目に見える物で春子との思い出を得ようと考えたとしても、必ずしも学校である必要はないはずです。夏男と春子は誕生日にプレゼントを贈りあっていますから、そのプレゼントを見ることで思い出を得ることは可能です。あるいは春子と一緒に行った海、遊園地、登下校で立ち寄る場所など、春子との思い出を得られる地は沢山あるはずです。春子との思い出を獲得するにあたって、学校という場は是非物(絶対に欠かせないもの)ではないはずです。 そういう意味で春子との思い出という忘れ物を拾うというのは、夏男が学校に赴く動機としてはあまり強くないと考えます。 もちろん動機として強くないとはいえ、動機は動機です。脳内で振り返ってもいいプレゼントを見てもいい海や遊園地に行ってもいいのと同じように、学校に行ってもいいです。夏男がそのときに考えたのが学校に行くということだったのならばそれでもいいです。 ただそれは黒板に春子のメッセージがなかった場合なのです。黒板に春子のメッセージがないのならば、夏男は春子との思い出を拾うために学校へ赴いたとしても納得できます。しかし黒板に春子のメッセージがあり、それが重要な展開である以上、春子との思い出を拾うというのは夏男に学校に赴かせるための適当な理由づけにしか見えなくなるのです。 春子との思い出を拾うために夏男は学校へ赴き、そこで春子のメッセージを見たのではないのです。春子のメッセージを夏男に見せるために、春子との思い出を拾いに学校へ赴こうと夏男に考えさせたのです。えーきちさんの思考回路は明確にこうでしょう。そしてそのえーきちさんの思考回路は読者に丸見えになっているように思います。 そういう意味で、プロットを書いているのではなくプロットに書かされているという状態になっていると思います。黒板のラリーの処理がもたついているという印象になります。 たとえば夏男が春子に告白をする場面、夏男は当然告白に成功すると思ってますから「正式に恋人になって教室で写真でも撮って、高校での春子との思い出を作ろう」と前もって考えていたとしたら、春子との思い出を忘れ物として学校に赴く夏男の動機は強化されるだろうと思います。「高校での春子との思い出」を作ろうと思っていたのに「春子との思い出」になってしまったという意味変化もつけられますし。 そういった細かい工夫があればプロットに書かされるという状態は少しだけ緩和できるのではないかと思います。 ここの件について、作りが甘くなってしまっているかなという印象がありました。繰りかえしになりますが構成や必然性がしっかりしている本作だけに、作りが甘いところは目立ってしまうと思います。そういった一段上の要求がなされる作品だと思います。 「忘れ物の回答」に執着してしまったとえーきちさんが考えられた場合には、参考にされてみてはいかがでしょうか。 ●三作品に共通する同一人物感 この項目の指摘は本作に直接向けたものではありません。 今までフィンディルはえーきちさんの短編作品を三作読んできたのですが、そこで感じたことをお話したいと思います。「葉桜の君に」を読んでいるときにも感じたことです。 本作の指摘というわけではないので、適宜参考にしていただければと思います。 感じたことというのが、主人公が全員同じに見えるというものです。同一人物に感じられます。「明日の黒板」「海が太陽のきらり」「葉桜の君に」のいずれも若者男性が主人公、恋愛要素が絡む、一人称視点ということである程度似通るものなのかもしれませんが、それにしても同じに見えるなという印象です。 それぞれ価値観は全然違うのです。世界平和に貢献する強い決意を持つ夏男、写真に情熱を燃やす海斗、青葉の死や桜子に向きあう葉太と、作中で表現される主人公の内面は全く違います。 それでも同じ人に見えるのです。根っこの性格が皆同じに見えるのです。 理由については様々な要因があると思うのですけどフィンディルの印象として、えーきちさんが思う素体としての「若者男性」に各主人公の経験から生まれた価値観を着せているというようなイメージがあります。なので経験から生まれた価値観が表に出ているときは別人なのですが、それとは関係ない何気ない言動に「全員同じだな」みたいな印象を覚えるような気がします。 同一人物のクローンが別々の人生を歩んだら価値観が違ってきました、みたいな類似感を覚えるのです。生まれたときから全く性格が異なるんだな、というような雰囲気の違いを感じませんでした。 カメラ小僧の海斗とやんちゃな葉太ともっとやんちゃな夏男の雰囲気に、あんまり違いを覚えなかったというのがあります。 それがもっとも顕著に出ているなというのがクライマックスの処理の仕方だと思います。これは主人公の言動というより展開みたいなものなのですが、どのクライマックスも終わり際に空気の緩和が入るのですよね。 「海が太陽のきらり」ならば ――――――――――――――――――― ゆったりとした胸元から覗く見覚えのある白い水着と、柔らかそうなふたつの…… 「おっぱい……」 バッチーン!! 「ヘンタイッ!」 ――――――――――――――――――― 「葉桜の君に」ならば ――――――――――――――――――― な、何、馬鹿な事を、おっぱいって……う、や、まぁ……イカン、異観、遺憾! 何でこうも様にならないんだ俺は。 ――――――――――――――――――― と ――――――――――――――――――― 「葉太くんも」 えっ!? ――――――――――――――――――― 「明日の黒板」ならば ――――――――――――――――――― 「夏男先生!」 なっ、何だ急に!? そんな風に呼ばれたことなんか一度もないぞ? ――――――――――――――――――― ですね。「葉桜の君に」は作家仲間との約束という面もありましたが「葉太くんも」「えっ!?」はそれとは関係ないはずです。 ギャグやコメディほどではないのですが、大事な場面でそれまで真剣だった主人公が雰囲気を崩すという展開が入れられています。ずっと締まった空気で進むのではなく、大なり小なりどこかで空気感を崩すのです。 またその展開も似通っていまして、主人公はふざけようとはせずに相手の言動などの外的要因が入る、それを上手くいなせずに主人公は動揺してしまう、というかたちで空気感を緩和しているように思います。「海が太陽のきらり」は動揺とは少し違うかもしれませんが、空気感を緩和するのは同じですね。 この展開がえーきちさんの癖なのか筆致企画で敢えて統一しているのかはわかりません。フィン感応募三作品で偶然一致しているだけかもしれません。フィンディルは他の作品を読んでいませんから。 しかし三作品を読むかぎり、同じような展開で主人公の素が見えてしまい、その素が非常に似通っているように思います。ここに同じ素体を使った「若者男性」感を強く感じます。それで全員同じに見えやすくなってしまっているように感じました。 空気感を緩和することでクライマックス場面の処理をするという技術もそうですし、緩和するなら緩和するでどのように緩和するのかもそうですが、ここを作品ごとに上手く使い分けられるとそういった印象は薄まるかなという気もしています。一番はキャラの作り方だとは思いますが。 とはいえ作品間で主人公が似通っていたとしても、その作品自体の面白さにマイナスになるというわけではありません。飽くまで複数作品を読んだときに感じてくる類似感です。ですがそれはえーきち作品への飽きに繋がる危険性もありますので、敢えて似た人物像に揃えているなどではない場合には意識してみる価値があるのかなと思います。えーきち作品らしさ、ということで肯定することも可能ではありますが。 ●細かいところ ・「絡まれる」「からまれる」、「タバコ」「煙草」 いずれも表記揺れです。表記揺れは作品への没入感を阻害することがありますので、できるかぎりなくすことをオススメします。 特別な意図がある場合にはそちらを優先してください。 ・と言ったところで、お前らはクルド人なんて知らねぇだろうがな。 ・まぁオレも、当時は……何? 知ってる? ほぉ、よく知ってるな、そんな昔のマンガ。って、馬鹿か、お前は? それはドラゴンボールだ。 フィンディルはドラゴンボールを知っているのですが、これは「サイヤ人」なのか「グルド」なのかどっちなんだろうなと素朴な疑問を持ちました。 どちらでもいいんですけどね。気になっただけです。 ・髪は所々、メッシュのように金髪が入った茶色。 「金髪」は金色の髪ということなので変換すると「髪は所々、メッシュのように金色の髪が入った茶色。」となり意味が通じにくくなります。髪の色の説明をしている箇所では髪ではなく色のみで示すのが無難だと思います。 「メッシュのように金が入った茶色」や「全体は茶髪だが、ところどころ(所々)メッシュのような金髪が入っている」などが無難だろうかと思います。 ・浅黒くエキゾチックな肌で彫りが深く、吸い込まれるような、二重の大きな黒い瞳が印象的な女の子だった。 「吸い込まれるような」というのは「瞳」の修飾なのか、春子全体の雰囲気の表現なのか、どちらなのでしょうか。読点の置き方などで判断が難しいように思います。前者ならば「ような、二重の」の読点が邪魔に思いますし、後者ならば視認できる容姿描写のさなかに雰囲気の描写を混ぜるのは理解がしにくくなるように感じます。 ・春子の声で我に返ったオレは、転がったチンピラを一度蹴り上げ、彼女に寄った。 ・今でも忘れねぇよ。 ・大きな瞳いっぱいに涙をためて、キツくオレを睨みつけながら言った、春子の言葉を。 ここ、「感謝されると思ってた。」「『怖かった、ありがとう』なんて言われると思ってた」という一文があるのが展開としては王道なのかなと思います。非常に王道な展開ですので、そういうわかりやすい一文を入れるのが無難なように思います。 なくても全然問題ないので、なくてもいいんですけどね。そこはえーきちさんの判断ということで。 ・じゃぁ、どうしろって言うんだ? 「どうかヤメてください」と土下座でもすればよかったのか? あんな奴らがそれで引き下がる訳ないだろ? ・「何で最初から無理だと決めつけるの?」と、春子はそれでもオレの行動を認めようとはしなかった。 「と俺は春子に言った」「俺の主張にも」などの一文が間に挟まるのが親切かなと思います。夏男がそう思っただけなのか実際に言ったのかがわからず、文脈判断するしかないので。文脈を見るかぎりでは、実際に言ったのだろうと思いますが。 ・「何で最初から無理だと決めつけるの?」と、春子はそれでもオレの行動を認めようとはしなかった。 ・正論だ。オレは最初から、そんなことは通用しないと思っていた。が、はいそうですかと、納得できもしなかった。 「通用しないと思っていた」よりも「通用しないと決めつけてた」のほうが文の意味が理解しやすいように思います。春子の主張を正論だとして自身の行動を顧みているのがわかりやすくなりますので。 「思っていた」では、春子の主張を聞く前に思っていたことなのか春子の主張を聞いてなお思っていたことなのかの区別がつきにくいように思います。 ・今まで食べたことがなかったんだとよ。一体、どんな暮らしをしてたんだって? ・ははは……ははっ……ふぅ…… この「一体、どんな暮らしをしてたんだって?」は生徒達からの質問ということでしょうか。そうならば質問が食い気味にきているようで、やや違和感があります。また片方だけの発言が収録される形式において、質問をそのまま繰り返すのは安易な手のようにも思えます。 生徒達の質問を予想して、夏男自身が問いかけをしたのかもしれません。しかし夏男自身が問いかけをしていたのならば、その後の笑いに上手く繋がりません。自分で問いかけて自分ではぐらかすような印象になるからです。 このあたりは調整できるところなのかなと思います。 ・けどな、オレが喧嘩を止めたからと言って、自分が蒔いた種が帳消しになるなんてことはなかったんだよ。 「止めた」が「とめた」のか「やめた」のかによって意味が全く変わってしまいます。文脈で「やめた」のはわかるのですが、ここは平仮名で表記するのが親切かなと思います。 ・逃げずに塀の影から顔を覗かせていた春子にも襲いかかった。 「影」→「陰」 ・もうな、ひたすらサンドバックだよ。 「サンドバック」→「サンドバッグ」 また夏男は春子に覆いかぶさっているので、位置的には地面に近いだろうと思います。それとサンドバッグでイメージする位置とにズレがあるので、やっぱり「フクロ」が似合っているなと思います。同じ語彙を続けるのを避けたのだろうと思いますが。 ・申し訳なさそうに病室の外から姿を見せた春子の、細い手足は、細かな傷でいっぱいだった。 細かな傷の程度にもよるでしょうが、絆創膏などの手当てが一切されていないような印象を覚えてしまいました。何かしら簡単な手当てを受けているという描写があるとより適切なのかなと思いました。 ・ホッとして涙が流れてくるなんて、生まれて初めてのことだったから、自分の太ももが急に濡れて驚いたさ。 夏男はベッドから身を乗りだしている体勢ですので、その体勢で涙が零れた場合に太ももに落下することは考えにくいように思います。また体勢を戻したとしても、布団などを被っているのかなという想像もあります。 ・それからずっと、オレは春子と一緒だった。登下校も休み時間も、休みの日だって会わない日はなかった。 この一件がある前も、夏男と春子はずっと一緒にいたはずです。休みの日に会うかどうかの違いはあったでしょうが、いつも一緒という点では以前と変わらないはずです。 一緒にいたのかどうかではなく、春子が夏男に心を許したのかどうかというのが重要な違いだと思いますので、そこの違いを描写するのが適当であるように思います。 ・誕生日にプレゼントを送ったり、もらったりもした。 「送ったり」→「贈ったり」がより無難かなと思います。 ・何も知らない春子を連れ出して、夜の学校へ忍び込んだりもした。 中盤で夏男が学校に忍びこむ布石になりますし、春子が学校に忍びこんでメッセージに返事できたことへの説明にもなっていて良いと思います。 ・母親の親戚のつてで。 細かい定義の違いはあるでしょうが一般的に母親の親戚は春子の親戚でもあると思うので、「母方の親戚のつてで」などが無難だろうと思います。 ・喧嘩も……ちょっと……まぁ、たまには……バレない程度に片づけ、春子に教えてもらいながら勉強したおかげで、大学にも合格した。まぁ、大したところじゃねぇけどな。 少しだけ気になったところなのですが、大学受験を終えて合格発表が間近かもしれないというような生徒達に対して「大したところじゃねぇけどな」はやや不用意な発言のような気がしないでもないです。その大したところじゃない大学に受験をして発表を待っている生徒もいるかもしれませんから。どの大学とは言ってませんが、知っている生徒がいるかもしれませんし気にしてしまう生徒がいるかもしれません。 それくらいざっくばらんな教師であるということなのかもしれませんけど「皆が驚くようなすげえとこじゃねぇけどな」などの言い回しをすると解消できるような気がします。 ・下に小さく、春子の字で「ごめんなさい」と書かれていたのは、ご愛敬ってことで。 いつも一緒にいたから春子の筆跡がわかっているということだと思いますが、ペンで紙に文字を書くのとチョークで黒板に文字を書くのとでは字が全く違うだろうと思います。黒板に書かれた字を見て「これは春子の字だ」と判別するのは現実的にやや難しいように思います。 夏男と春子の関係性は皆知っていたでしょうから、夏男の告白に「ごめんなさい」を書くのは春子しかいないと考えれば、筆跡がどうこうではなく「ごめんなさい」だけで春子が書いたものだとおおよそ推測できると思います。 ですので「下に小さく「ごめんなさい」と書かれていたのは、ご愛敬ってことで。」でも伝わると思います。 ・いよいよ、春子に告る潮時だ。 「潮時」とは「物事を終えるタイミング」という誤用がなされがちですが、本来の意味は「物事を始めたり終えたりする良いタイミング」という意味です。この文章では「潮時」の本来の用法で使われています。 ここに強い違和感を覚えました。夏男が国語の教師ならば「潮時」を正しい意味で扱っていても全くおかしくはありません。 しかし「前編」に「あとで、春子に凄い怒られたけど。」という文章があります。「すごい+体言」「すごく+用言」というのが正しい用法ですので、この文章は間違っています。しかし夏男の話し方や性格を考えれば、この「すごい+用言」の誤りはキャラ表現として許容できるものです。ですのでその判断のうえでフィンディルは見逃しました。 そういう表現があるなかで、「潮時」は本来の用法を使うのかと違和感が出ました。もちろん夏男は「すごい+用言」を使うが「潮時」は正しい用法で使う人物だった、ってことでもいいです。「潮時」と「すごい+」は名詞の使い方と話し方というような違いがありますし、「すごい+用言」は厳密には誤りと知ったうえで「すごい+用言」を使う人もいるでしょう。 ただフィンディルの感覚としては、「すごい+用言」を使う人が「潮時」は正しく使うことにキャラ表現として違和感があったので、えーきちさんにこだわりがなければ調整してもいいのかなあと思います。 ・春子は何て言ったと思う?「故郷に帰る」だ。 他の文章では疑問符の後にスペースがありますので、表記揺れだと判断します。鉤括弧があるからスペースの役割を果たしているという考えも認められなくもないですが「じゃぁ、どうしろって言うんだ? 「どうかヤメてください」と土下座でもすればよかったのか?」という文章もありますのでやはり表記揺れだと判断します。 ・鉄パイプなんて易しいもんだ。 「易しい」→「優しい」 ・ワタシはみんなを助けたくて勉強をした。 ここに至る布石が「誰の誘いにも乗らずに、いつも一人勉強をしていた。」や「何かを抱え込むように勉強する春子の形相は鬼気迫っていた。」だと思います。春子が真面目で勉強ばかりしていた理由ですね。 ここで気になることがあるのですが、夏男はどうしてそれに気づかなかったのかでしょうか。「春子も日本の大学に進学するものだと信じて疑わなかった。」とあるので、春子は大学受験のために勉強をしていると夏男が考えていたのでしょう。 しかし大学に合格するための勉強と祖国に貢献するための勉強は内容が違うだろうと思います。春子は国語が得意ではなかったので、大学に合格するための勉強ならば国語を重点的に勉強するはずです。しかし祖国の平和への貢献を考えれば春子は国語よりも、社会や理科を重点的に勉強していただろうと思います。あるいは学校で習うものとは違う勉強をしていたでしょう。ともに勉強をしていた夏男ならばそこに気づきそうなものです。「どうして苦手な国語は勉強しないのだろうか」「それは受験に関係する勉強なのだろうか」と思っても不思議ではないはずです。 夏男と春子が通っているのが何学校かにもよるでしょうが、ここに違和感がありました。 ・乱暴に自分の荷物をかき集め、泣きながらオレの前を走り去る春子を、追うことなんてできなかったんだ。 ここが教室であるという情報を強化するのをオススメします。「オレは卒業式の後、誰もいなくなった教室に春子を呼び出した。」という文章でここが教室であるという情報は示されていますが、重要な展開が挟まれるのでその情報を忘れてしまいます。 そして春子の泣き顔と教室が接続されて、泣き顔を最後の思い出にしたくないと夏男は再び教室にやってきますので、ここが教室であるというのは重要な情報だと思います。ですので「泣きながら教室を飛びだ(出)していった春子を」などが無難かなと思います。 ・その夜の、親睦会という名の打ち上げに、春子の姿はなかった。 「親睦会」というのは仲をより深めるために設けられた交流の場という意味ですので、卒業後に生徒達が集まる場の名称としては違和感があります。三年間過ごし、これから別々の道を歩みだす者達で親睦会を開く必要があるのかと。 「送別会」や「お疲れ会」、あるいは単に「打ち上げ」などが無難かと思います。 ・教室に入るなりオレは、黒板をスマホで照らして、自分の書いた文字を消した。それだけで、黒板の三分の一が深緑になっていた。 このとき、春子が書いた「ごめんなさい」はどうしたのかが気になりました。春子の書いた文字だからそのままにしたかもしれませんが、「Love & Paece」の下に「ごめんなさい」がそのまま残されているのも妙に映ります。 その後春子が「ごめんなさい」を消して別のメッセージを書きこむわけですが、夏男はそうとはわからないはずなので「ごめんなさい」を消すべきか消さないべきかを悩んだはずです。 本作の描き方は、後で春子がメッセージを書き変えるから敢えて触れていないように見えますので、夏男が「ごめんなさい」をどうするかを悩む文がひとつ入るのが自然なのかなと思います。夏男の心情も追加で描けますし。 ただこれは夏男の語りなので、夏男がスムーズに語るうえで情報を敢えて隠しておいたということならばそれでもいいと思います。 ・オレは不意に飛び起きた。 「不意に飛び起きる」だと中途覚醒の印象が強くなるので、夜明け前くらいのイメージを持ちました。しかし実際は朝食と昼食が一緒の時間なので、しっかり眠っているのでしょう。 「不意に」は余計な単語のように思えます。 ・オレは学校に忍び込み、校内に散らばる春子との思い出を拾い集めた。 この文章だと建物内に入っている解釈になりますが、「校庭、校舎裏、下駄箱前」と下駄箱前でやっと建物内に入ったことになります。なので順序が前後しているイメージです。 「オレは学校の敷地に忍び込み、学校内に散らばる~」などが無難かと思います。 ・一瞬、春子の泣き顔が目の裏に浮かびもしたが、オレは決して目をそらさなかった。 慣用句ということならば「目の裏に浮かぶ」ではなく「瞼の裏に浮かぶ」だろうと思います。 ・オレが黒板に書いた『LovE & Paece』の文字の下、春子が『ごめんなさい』と書いてあった場所に、違う言葉が書かれていることに。 『Love & Paece』と『LovE & Paece』で「E」と「e」の表記揺れです。 ・その下に『スペル、間違っているよ』ってな。 夏男が口頭で生徒達に話しているはずですのでこれが「Love & Paece」なのか「ラブ&ピース」なのかはわからないはずです。片仮名で想像していた生徒は『スペル、間違っているよ』ということでアルファベットかと思い直すので、生徒達に親切でないと思います。 また『スペル、間違っているよ』というのもどこがどう間違っているのか、口頭で伝えられる生徒達はわからないのでやはり親切ではないと思います。 この件については夏男は生徒達に話しかけているのではなく読者に話しかけていると判断します。それは生徒達に話しかけているという形式をブレさせるので、改善したほうがいいことだと思います。 「Love & Paece」というのは夏男が以前生徒達に向けた書いたことがあるようなので(生徒の誰かが「それって一年生のときに黒板に書いた?」と言ったという体で)「ああ、それだ」という一文があったり、「eとaがな、様にならないよな」という一文があったりすると調整できると思います。 ・あと……(うん……まぁ、これはいいか)いや、いい。 「前編」と「中編」は夏男の発言をそのまま綴っているという形式ですので、その形式を徹底する意味では夏男の心の声はできるだけないほうがいいかなと考えます。 「後編」で回収しますので、「あと……いや、いい」でも言おうと思ったけどやめたという夏男の心理は伝わると思います。もうちょっと凝ってもいいと思いますが、心の声を使わずに実際の発言だけで表現するのは十分に可能だと考えます。 ・空を二分するように走る飛行機雲が、オレの視界の先へ、緩やかな弧を描いて遠のいていった。 この文章では飛行機雲が遠のくことになりますが、遠のくのは飛行機であって飛行機雲はその場に残るだろうと思います。調整をオススメします。 ・拳を握るな。手を開け。誰かがその手を必要としている。 ・お前らが困った時は、誰かが手を差しのべてくれる。 上手いですね。教師の話として上手くまとめていると思います。 ・オレは校舎裏で壁に寄りかかり、空を見上げ、タバコの煙を吐き出した。 ・吸い込まれるような青い空に、薄い煙が霧のように漂う。 この二文を繋げると、吸いこまれそうなのがタバコの煙であるように感じられてしまいます。しかしタバコの煙は霧のように漂っているので吸いこまれるようなというのはタバコの煙にかかっていないことがわかります。 そういう誤った印象で少し解釈が遅れてしまいますので、別の繋ぎ方を考えることをオススメします。 ・『スペル、間違っているよ』の文字から、少し離れた所に書かれていた、その言葉。 「文字」には文章という意味もあるらしいので間違いではないと思うのですが、それでも『スペル、間違っているよ』を「文字」と呼称するのはやや違和感があります。やはり「文章」や「言葉」などがしっくりきます。 同文中に「その言葉」とあるのでそれと語彙が重ならないような工夫なのかなと想像しますが、それならば「『スペル、間違っているよ』から、少し離れた~」などでも支障はないのかなと思います。 ・『もし、戦争がない世の中だったら、ワタシと夏男、二人一緒の未来はあったのかな?』 夏男は生徒達に話すとき、この春子のメッセージを割愛しました。何故だろうなと少し想像してみます。 まずやはり春子が亡くなっているから。春子がこのメッセージを書いた時点では「二人はお別れになるけど、戦争がなければ離れ離れになることはなかったのかな」という意味あいですが、春子が亡くなった前提で考えると「戦争がなければ死に別れることはなかったのかな」というような意味あいになります。もちろん春子はそういうつもりでは書いていないでしょうが、春子の死を受け止めていた夏男にとってこの春子のメッセージは春子の死を強く思い出させる辛い言葉になってしまいます。それを生徒達の前とは言え口に出すことが何だか憚られてしまった。 春子は死んでしまったという前提で、夏男が生徒達に春子のメッセージを口に出すのを想像すると心苦しいものがあります。言ってしまうと同時に涙が溢れてしまいそうな気持ちになります。それで、無意識に避けてしまったという考え。 あるいは「『もし』なんて言葉は、何の慰めにもならない。現実に、至る所で戦争は起きている。」という夏男の言葉のとおり、今から世界平和のために動こうとしている夏男は「もし」という仮定の言葉を口にしたくなかったと解釈ができます。夏男は「もし」を現実にするために動こうとしているわけですから。ただこれは春子の言葉を否定しているというわけではありません。このメッセージは強い決意で祖国に帰ろうとする春子が最後に漏らした本音ですから。それを理解したうえで強い決意で世界平和に貢献しようとする夏男は敢えて「もし」を否定しているのかもしれません。 そういった想像ができました。夏男の強くて繊細な気持ちが窺えて良いと思います。(うん……まぁ、これはいいか)という夏男の内面からも、何かここで言うのは違うなという曖昧な気持ちでしょうから。 ただ一読目ではあまりピンとこない回収で、せいぜい春子の死の前振りなのかなくらいにしか感じられないので、もっと活かせる回収の仕方があっても良いのかなという気もします。あるいはフィンディルがきちんと読みこめていないだけかもしれません。 ・そこには、ツーブロックの長い髪を後ろで束ねた冬弥と、 「ツーブロック」とはサイドや襟足を短くしてトップとの長短差を出した髪型のことですが、髪(この場合トップ)が長いかどうかには言及しない髪型です。しかしこの文章では「ツーブロックの長い髪」とツーブロックだから長い髪というような解釈ができます。 たとえば「ポニーテールの長い髪」ではポニーテールを成立させるためには長髪である必要がありますが、「ツーブロックの長い髪」ではツーブロックを成立させるために長髪である必要はありません。 ツーブロックは有名な髪型で名称だけで大雑把なイメージができますが、「ツーブロックで長い髪を後ろで束ねた」などが無難かなと思います。 ・オレはフンッと鼻を鳴らし、校舎の壁に添って腰をおろす。 「壁に添って腰をおろす」という言い回しに違和感がありました。おそらく壁に寄りかかるようにして座るだと思うのですが、少し把握しにくい言い回しだと思います。「添って」ならば「沿って」あるいは「沿うように」のほうが適切であるようにも思います。 言い回し全体の改善を考えてもいいところかもしれません。 ・オレの口から吐き出された薄い煙は、温かくなりつつある、澄んだ春の空気に溶けていった。 「温かく」→「暖かく」 ・「デカい鷲の国の、民間機誤爆さ。春子は帰れなかったんだよ」 素晴らしいと思います。 フィンディルは項目で「春子の死自体よりも春子が知識と想いを何一つ届けられず帰ることさえできなかった」ことに戦争の凄惨さ現実の厳しさが強く表現されていると褒めさせていただきました。 ただ本作を見ると、そこについてあまり掘られていないのです。どうして掘られていないのかというと、冬弥と秋は春子の死に関心が向いて、春子が帰れなかったことはあまり気にしていないからです。冬弥と秋があまり気にしていないので、掘られていない。そしてこれは冬弥と秋に、日本に住む人の認識を表現させるにあたってはとても重要なことです。「死ぬのもそうだが、知識や想いを届けられなかったことが無念だろう」なんて冬弥や秋に発言させると、日本に住む人の認識の表現にブレが生じてしまいます。 しかしここで夏男がそのようにアピールするのも違うのです。夏男は終始「日本で平和に暮らすお前達にはわからないだろうが仕方ないことだ」というスタンスをとっています。暴力をしてはならないことだけ理解してもらえればよく、それ以上を無理に理解させようとはしていません。なのでここで「死自体もそうだけど、帰れなかったことが大事なんだ」と訴えるのは夏男のスタンスに反します。夏男としては「春子は帰れなかったんだよ」という一言が限界ですし、それへの冬弥と秋のリアクションに注文をつけることもしてはならないでしょう。 そういうような事情があって、本作では「春子の死自体よりも春子が知識と想いを何一つ届けられず帰ることさえできなかった」の掘り下げがないのです。これが素晴らしいと思います。 目先の面白さ目先の感動を考えれば、ここでもっと芯を食った一文を入れたくなります。読者の感動は呼び起こせます。しかしそれをぐっと我慢して、本作の表現や夏男の気持ちを優先する。「作中ではここまでしか掘れないけど、読者で沢山掘り下げてください」というようなえーきちさんの意思をフィンディルは感じました。妄想かもしれません。 いずれにせよ目先の感動より本作の趣旨をとったえーきちさんの判断、素晴らしいと思います。 ・入学式の後、初めて顔を合わせた連中と一触即発だった時、ズカズカと教室に入って来て、自分の名前も書かず、黒板いっぱいに『Love & Peace』って書いたバカがいたわ 『Love & Peace』という言葉自体は夏男が生徒達に話したときにも出てきたはずです。ですので冬弥はそのときにピンとくることが可能なはずです。ここでピンとくることに違和感がありました。話は真剣に聞いていたでしょうし。 ・オレはタバコをコンクリートに押しつけ立ち上がる。 ・タバコを足元に落とし、踏みつけ足をひねるオレ。 ・オレはタバコの吸い殻を拾い上げ、まだ吸っていないタバコが入ったボックスにそれを入れる。 一本目のタバコはコンクリートに押しつけそのまま回収したのだと思います。しかし二本目のタバコは足元に落として踏みつけています。 これは一本目と二本目の間で、春子の死を告げているからだろうと思います。フィンディルの想像では春子の死を思い出してしまうから『もし、戦争がない世の中だったら、ワタシと夏男、二人一緒の未来はあったのかな?』というメッセージを割愛した夏男にとって、春子の死を改めて口にするのは精神的な負担が大きいのでしょう。それがタバコの扱いに表れているようにフィンディルは思います。二本目のタバコは乱暴に踏みつけて回収できないくらい、精神の負担が大きかったのでしょう。 しかしその後、きちんと吸い殻を拾っています。これは夏男の心が落ち着いたからでしょう。 タバコの処理の仕方に、そのときそのときの夏男の心の波具合が表現されていると思います。良いと思います。 ・オレは眉間に皺を寄せて、恐るおそる振り返る。 ・オレは顔を隠すように振り返り、 振り返っているのをさらに振り返っているというかたちになるかと思います。「振り返る」は体をねじるようにして後ろを見るという意味ですので、体をねじって後ろを見てさらに体をねじって後ろ(前)を見ることになり、軟体人間のようになってしまいます。 振り返るという姿勢を戻しているというかたちのはずなので「オレは顔を隠すように背を向けて」などが無難かと思います。 ・「ああ、またな」 良いですね。これを今生の別れにするつもりはないという夏男の意志が見てとれます。 春子が祖国へ帰ることすらできず亡くなったのを考えると、意味深い台詞です。 感想は以上です。 「フィンディルの感想」は現在非常に認知度が低いです。 ですのでこの感想に満足していただいた場合は「フィンディルの感想すごく良いよオススメ!」と、沢山の方にそして作家仲間さんに、積極的に口コミを広めてくださるようよろしくお願いします!
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